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街の心理士による、「親ガチャ」論・「人生無理ゲー」論への雑感

街の心理士による、「親ガチャ」論・「人生無理ゲー」論への雑感
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

※長く勤めていた精神科病院を退職し、“街の心理士”へと華麗なる転身?を果たした「りらの中のひと」が、心理学やメンタルヘルス、日々の出来事などについて感じることを綴っています。

 今さら、のお話ですけど。最近、育ちにおける逆境を「親ガチャ」と、人生を通した逆境を「無理ゲー」というのですね。「親ガチャ」は、家庭環境をガチャガチャ(コインを入れカプセルトイをランダムに受け取る販売機)に、「無理ゲー」は、人生を“そもそも難しすぎて誰もクリアできないゲームのクエスト”に例えた言葉です。

 「親ガチャ」論は、個人の努力と境遇との関係を端的に表した、秀逸な表現だと思いました。逆境は、自ら望んで引き受けたものではないのですよね。それでも以前は、ガチャガチャの中身がそれなりに整っていた(あるいは、中身がよくなるという幻想や希望があった)のです。それが今では、ハズレを引いたと感じる人が増えてしまった、ということです。「親ガチャ」論の本質は、ハズレを引いた個人の不運にあるのではなく、いわんや個人の自己“責任”などでもなく、この社会という「ハズレの多いガチャガチャ」をどうするのか、という所にあるといえるでしょう。もちろん個々人のケアは大切なのですが、大元を改めないと、際限がないのですよ。

 「人生無理ゲー」論も、論点は「親ガチャ」論とよく似ていると思うのですが、本来、存在するだけで祝福されるべき人生が、クエストを消化すること(にしか価値を見出さない)にすり替えられている点を指摘している部分が秀逸ですね。やれ「働け」だの「子どもを産め」だの、クエストが多すぎます。生産や生殖はもちろん大切です。それが文字通り「無理強いされている」ところに、ツッコミどころがあるわけです。私は“フルタイムの勤労”というクエストから、降りてしまった人間ですが、ひとつの事例として、クエスト消化でない人生を生きてみたいと思っています。

 ガチャガチャやゲームの“からくり”を、しっかり見極めるところから始めないといけないな、と思います。

(おわり)

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