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精神障がい当事者の就労支援あれこれ(その4)「職業準備性」について(前編)

 精神障がい当事者への就労支援の「魅力と課題」を記していくシリーズです。

 今回から「職業準備性」について取り上げてみます。そもそも「働く」とはどういうことなのか、というところから始めたいと思います。

1.なぜ「働く」のか

 精神障がい当事者の臨床に携わっていると、働くことを希望される患者様が多くいらっしゃいます。その多さは、20年前とはまさに雲泥の差です。薬物療法の進歩や、就労系の福祉サービスの充実(地域差はあるのでしょうが)などによるものと思います。患者様にとって、就労が身近なテーマになること自体は、非常に喜ばしいことでしょう。

 それでは、私たちはなぜ「働く」のでしょう。それは、自分の生活費を得るためだったり、誰かの暮らしを支える(子どもの教育費など)ためだったり、生きがいや自己実現のためだったり、何かに貢献したいからだったりします。

2.「働かざる者、食うべからず」論を否定する

 一部の患者様たちは、働くことを責任や義務としてとらえ、「早く働かないと」と焦りを訴えます。彼女ら彼らは、働かない自分を「欠陥」としてとらえ、時には自分を責めさえします。

 この患者様たちの多くは、「働かざる者、食うべからず」という価値観に支配されているようです。私たちの社会が維持発展するためには、私たちの「勤労」が大前提(の一つである)であることは、疑う余地がありません。けれども、日本国憲法にも記される「勤労の義務(と権利)」は、個々人に自己責任としての労働を強いるものではありません(強く言う)。

 まず、働かない・働けない人々には、それなりのよんどころない事情があるものです。仕事が50しかないのに求職者が100人いたら、50人は仕事にあぶれるということは、小学生でもわかります。

 また、働かない・働けない人々は、ちょっとした支援があれば、働くようになるかもしれません。ちょっと特殊な例では「障がい者の就労支援」、より一般的には「職業紹介」(ヒトと仕事の出会いを支援してくれる)などが、このちょっとした支援に該当するでしょう。がんの治療や家族の介護との両立支援も然りです。労働は、個々人の自己責任だけでなく、このちょっとした支援とセットで成立するものです。

 「働かない・働けない」問題は、何よりそこに至る事情や背景をしっかり手当てする(病気があるなら、しっかり治療し、養生する)こと、そしてしかるべき支援を行うことをもって、解決していく課題でしょう。

 余談になりますが、憲法第12条には、私たちの自由や権利は、私たち自身の不断の努力により保持しなければならない、と書かれています。「働かざる者、食うべからず」なのではなく、「私たちが食べていけるように、社会が維持発展できるように、それぞれが置かれた立場で不断に努力していこうよ」と、積極的に言い換えていきたいものです。

3.働くことは「労務を提供すること」

 働くことに生きがいや自己実現を見出すのは、素晴らしいことです。けれども、雇用主が労働者に期待することは、労務を提供することです。働くとは、労働者が労務を提供する対価として、雇用主が賃金を支払う、という契約関係なのです。ですから、「私のやりたい仕事をさせてくれない」というのはナンセンスで、雇用主から求められる仕事(極端をいうと、昨年話題になった“ブルシット・ジョブ”も含め)をこなすのが「働くこと」なのです。

 「あなたは、雇用主が求める『労務』を、提供することができますか?」精神障がい当事者の就労支援を実践する上で、この点を飛ばしてしまうと、当事者にも支援者にも、あとあとツケが回ってくる気がします。けれど、一部の就労支援施設や支援者は、この認識が甘いようにみえます。私たち支援者は、働くことの本質(といっても、決して難しいことではないと思いますが)を踏まえた支援を心がけたいものですし、当事者の方々は、「働いて幸せになろう」と甘言(だけ)を弄して近寄ってくる支援者には、警戒した方がいいでしょう。

4.働くためには力量や準備が必要

 ここまで述べると、働くためには、それなりの力量や準備が必要だと、自ずと見えてきます。障がい者の就労支援では、「職業準備性」という考えに基づき支援するのが一般的です。次回以降、この「職業準備性」について振り返ってみたいと思います。

(中編に続く)

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