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【シリーズ・摂食障害2】“正しく”理解することが、なぜ大切なのか

【シリーズ・摂食障害2】“正しく”理解することが、なぜ大切なのか
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

※長く勤めていた精神科病院を退職し、“街の心理士”へと華麗なる転身?を果たした「りらの中のひと」が、心理学やメンタルヘルス、日々の出来事などについて感じることを綴っています。

 思う所があり、摂食障害の理解と対応についての連載記事を書き始めています。この記事は、連載の第2回目です。

 いま数えてみたのですが、私は、“正しい”という言葉を、前回の短い記事の中で、何と6回も使っていたのですね。

 正しくありなさい、と迫られることは、受け手にとってはやや“煙たい”経験になることは、私も承知しています。ただ、摂食障害についての正しい理解と対処を、当事者やご家族、治療者・支援者と分かち合いたい。そんな突き動かされる思いが、言葉遣いに現れているのでしょうね。

 摂食障害についてご説明する時に、なぜ私が“正しい”と繰り返しているのか、改めてその理由をお伝えしておきたいと思います。前回の記事と併せてお読みいただければ幸いです。

1.「医学的に妥当」な理解が大切


 前回記したとおりですが、私は精神科病院を退職し、いまは“街の心理士”を名乗っております。精神科医療の世界では、それなりに長い経験(四半世紀以上)があります。そしてそこで、多くの摂食障害の患者様と出会いました。

 摂食障害については、医療者以外にも様々な立場の方々が、さまざまな価値観をもって関与しています。その立場と価値観のあり方によって、“正しさ”の内容が異なってくる可能性があるのです。

 この連載記事で私が“正しい”というのは、医学的に妥当である、という意味だと、はじめにお断りしておきます。そして、医学的に妥当な理解と対処が、その他の価値観に優先する場合が多い、とお伝えしたいのです。

 のちのち詳しくご説明しますが、摂食障害は、当事者の方の身体的健康を大きく損なう(可能性が高い)、厳に医学的に対処するべき疾患です。

 私は心理士なので、摂食障害の当事者の方への心理的ケアの重要性は、人一倍認識しています。けれども、摂食障害、特に神経性やせ症で、低体重が深刻な方は、心理的ケアより医学的ケア(体重の回復や合併症の治療)が絶対的に優先されます。

 また、ウェイトコントロールがパフォーマンスに直結する一部のスポーツ選手や、ファッション関係者などの世界では、痩身であることが“絶対善”とされる場合もあるでしょう。しかしその場合も、健康や命を賭してまでそれらに関わるものではないでしょう。

 様々な価値観があるにしても、摂食障害を考える上では、何より医学的に妥当な理解と対処が大切なのです。

2.適切とは言えない理解と対応が、まかり通っている現実


 残念ながら、摂食障害とその周辺領域では、医学的妥当性からみて、適切とは言えない理解と対応が、まだまだ蔓延しているのが事実です。

 ネットで検索すると、医学的に標準とはいえない医療行為やケアが、摂食障害に関連して、たくさん見つかります。時には、代替医療ともいえない“怪しげな”ものが見出されることもあります。施設に入所させ行動を制限する(精神科医療における非自発的入院など、ごく一部の例外を除き、社会的に認められない)ような対応をするものも存在するようです。

 念のため申し添えますが、医師が医療行為として、どのような治療法を選択するのかは、医師の裁量であって、個別のケースについてその妥当性を云々するのは、医師の業務独占への侵害となるので、私がこの連載記事で言及することはありません。しかし、だからこそ、医療における標準的な理解と対応を、当事者を含むすべての関係者が、しっかりと理解しておくべきです。それが最終的に、当事者の心身の健康と権利を護ることにつながるのですから。

3.当事者の方の博識ぶりは、実は偏っている場合が多い


 これまで、医療側の視点で“正しい理解”を論じました。少し視点を変え、当事者にとっての“正しい理解”を考えてみましょう。

 当事者の中の一部(決して少ない割合ではない)の方は、食や栄養、摂食障害や身体医療について、実に博識です。気をつけないと、中途半端な治療者は“論破”されてしまうほどです。

 実は、当事者の方の博識ぶりは、「まだ食べなくても平気」「もっと痩せていても大丈夫」という願望を無理やりにでも証明したいがための、偏った博識ぶりであることが多く、大局的かつ客観的に見れば、「痩せていること自体にリスクがある」事実には、変わりはないのです。

 当事者の方の博識ぶりは、彼ら彼女らの努力や強迫性(とことんやり切ってしまう)との関連から意味づけすることもできるでしょう。彼ら彼女らはそれだけ“必死”なのです。

4.当事者以外の人間には、とても理解しにくい


 当事者の方やご家族、医療者・支援者だけでなく、当事者の方々が社会生活で交わるあらゆる人々にとっても、摂食障害とは実に“理解しにくい”病気なのだ、ということを、お伝えしたいと思います。当事者の方やご家族は、ある種の偏見や誤解に直面させられてしまう場合が多いのです。

 たとえば、当事者の方と周囲との間では、このようなすれ違いが起こります。神経性やせ症(摂食障害の一種)の方は、体形や食事にとらわれ、追い立てられて、常に“安心できない”状況に身を置かされます(と言われて、すでに不思議な気持ちでいる方もいらっしゃるでしょうね)。心身ともに疲れ切って、時には「もう終わりにしたい、消えてしまいたい」と、希死念慮を抱えてしまう場合すらあります。

 他方、周囲の方から見れば、「ダイエットの成功者なのに(好きでやっていることなのに)、なぜ消えたいのか」、「だったら食べればいいだけなのに」と感じられてしまうかもしれません。当事者の方は、自身の症状の苦しさだけでなく、周囲の視点とのギャップにも苦しむことになりかねないのです。

 のちのち詳しく説明するつもりなのですが、やせ症の状態が長く続くと、自分自身で自らの食行動を調節することが、極端に難しくなってしまい、食べようと思っても口にできなくなっている(あるいはたちまち排出しようとしてしまう)のです。

 摂食障害当事者の方の生き辛さを軽減するためには、周囲の理解が大切であることは、いうまでもありません。その意味でもこの連載記事が、少しでもお役に立てれば幸いです。

(おわり)

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