見出し画像

【シリーズ摂食障害Ⅱ・#8】 “頑張り屋”の過剰適応

【シリーズ摂食障害Ⅱ・#8】 ”頑張り屋“の過剰適応
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 摂食障害への理解を深めていく連載・シーズンⅡでは、摂食障害と関連する心理面の特徴について、理解を深めています。引き続き、「頑張ること」と関連した、「過剰適応」の視点から考えます。前回の記事と併せてご覧いただけると幸いです。

5.「過剰適応」とは


 「頑張ること」が自己目的化した「頑張り屋」が、「我慢」し「自分を殺して」まで、周囲の期待や励まし(「頑張れ!」)に応え続けている状態、すなわち環境に過剰にまで適応して(または、しようとして)いる状態を、文字通り「過剰適応」といいます。

 「頑張る」ことと同様に、「適応する」ことも、一般的に良いものとして認識共有されていますから、「適応が過剰である」ことがなぜ問題視されるのか、解説が必要かもしれません。

6.乗せられ強いられた「適応」


 自ら主体的に参画し、意図的に適応しようと試みている状況を、通例「過剰適応」とはみなしません。適応の努力が主体的になされているのなら、そこから降りる(止める)ことも主体的になされうるからです。ところが、乗せられ期待されて降りられない、強いられたり命じられたりして止められないような場合、「過剰適応」となりがちです。

 親子関係での「親からの期待」が強すぎる、スポーツにおける過酷な指導(「成績を上げたければ、言うとおりにせよ」)などは、「過剰適応」を産む背景となりやすいでしょう。

7.「適応」しても満たされない


 本来「頑張ること」は目的本位の営みで、その目的が達せられたら、満足をもって頑張りから降りることができるものです。けれども、 「過剰適応」における適応(頑張り)は、果てしなく、満たされることがありません。

 学業成績が常に“完璧”であることを期待され、それに必死で応えている子どもをイメージします。この子どもは、目先のテストで百点満点を取ることだけでは足りません。これから先のテストを全て完璧にこなさなければ、期待に応えたことにならないのです。この子どもは、満たされぬまま頑張り続けなくてはならなくなるのです(完全主義については、次回に触れます)。

8.息苦しさに気づかれにくい


 皆様は、「過剰適応」の苦しさを理解し始めていると思います。

 「過剰適応」の苦しさは、文字通り「息苦しい・生き苦しい」、真綿で首を絞められるような、じわじわとした苦痛です。時には、自分自身がその苦しさに気づいていないことすらあります(既に述べた、内的知覚の混乱との関連が想起されます)。

 頑張ること、適応することは、社会的に善いものと認識されており、本人もそれを引き受けている(期待に応えようとする)ので、「過剰適応」の人は“いい人(良い子)”に見られます。けれども内面は息苦しいのです。その息苦しさに気づかれにくいのも、「過剰適応」の苦しさの重要な一部と言えるでしょう。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?