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「専門領域」がないことがコンプレックスであり誇りでもあり

「専門領域」がないことがコンプレックスであり誇りでもあり
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 大学時代の学友の何人かは、大学教授になっています(臨床心理学や観光学など)。民間企業の研究施設に所属する人も、翻訳家として身を立てる人もいます。彼ら彼女らは「専門領域」をもつ、「スペシャリスト」と呼ばれる人たちです。

 一方、私には「専門領域」がありません。

 え?あんた臨床心理学の専門家やろが?

 そのツッコミはもっともなのですが、私はどちらかというと、「専門家」というより「何でも屋」なのです。

 私のキャリアの前半は、精神科デイケアでの心理支援にありました。精神科デイケアというのは、通院患者様が小集団で活動するリハビリテーションであり、精神疾患を持つ患者様に「症状そのもの」や「症状に由来する生活上の困りごと」に対処する力を身につけていただく治療プログラムです。

 治療でともに取り組む、この「生活上の困りごと」というのが“曲者”で、ありとあらゆる問題が持ち込まれ、治療やケアの“ネタ”として扱われるのです。そして必然的にスタッフ(私を含む)は「何でも屋」になっていきます。私が携わったものを思いつくまま列挙すれば、「消費者被害」「宗教問題」「恋愛や結婚(DVや望まぬ妊娠などを含む)」「挙児や子育て」「親の介護や看取り」「防災・減災」「体の健康」「就労支援」…。「(若い患者様に)勉強を教える」「“汚部屋”の片づけ」などは、何度もやったな笑。

***

 「専門領域」を持つスペシャリストではないということは、私には、多少なりともコンプレックスのもとになっていますね。しかし同時に、そのことは誇り・プライドでもあります。

 心理士は、(ある)社会・(ある)文化の中の、(ある)個人の、(とある)心の一側面に焦点を当てますから、概して視野が狭く、介入技法も限られます。例えば精神分析の専門家は、分析的に理解でき分析的に介入できる分野にしか関わらないものです(消費者被害の主訴に、精神分析的精神療法を適用するセラピストは、おそらく存在しない)。

 一方、私たちが生活の中で直面する心理的課題・ニーズは、多様な生活スタイルに応じてさまざまです。「何でも屋」心理士の私は、およそどのような支援課題が提示されたとしても、それなりに対応できます(手に余るケースをどこに紹介したらいいのか知っている、という点も含め)。「何でも屋」であることが、街の心理士としての私の誇り・プライドである所以です。

 これからも、私にできることなら“何でも”取り組みますよ!ご期待ください笑。

(おわり)

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