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あれから29年

おはようございます。
阪神淡路大震災から今日で29年になります。

私はあの日、関東にいましたので直接の被害はありません。
ただ、あの時間は静岡の実家で(新幹線通勤のため)自室でお化粧をしていたところ、
カタカタカタカタカタカタ、と
不思議な揺れを感知いたしました。

で、新幹線に乗って出勤。
始業前に会社に着くと、会社のテレビに
煙の出る街並みを空から映しているニュースが映されていました。

あの頃は、スマホもなかったし、
情報はテレビ、新聞。
広報部にいたので、時事通信FAXという
専門の小さな機械があり、24時間速報を
FAXで送られてくるものがあり、そこから長く長くロール紙が排出されていました。

国会担当の上司が、どうやらかなりの被害らしいと情報を集め、関西の事業所とも各部署から対応をしておりました。

私はその前に、関西支社の人たちと一緒に
那智の滝を観に行ったりして、小旅行のような出張をして以来親しくしていたので、無事かどうか、心配をしておりました。

午後になって電話が通じ、無事だということがわかり、しかし大変な思いをして出勤されたのだということを聞きました。

今思えば、そうまでして出勤するのかと感じますが、その頃はなんだか当たり前のように出勤していたのです。

しかしテレビから流れてくるのは、ひっくり返った幹線道路の高架、向こうが割れてしまった道路、そして火災。
現地入りしたリポーターの姿。

倒壊した建物の捜索は、近所の人たちが
◯◯さんはどこの部屋で寝ているからあのあたりにいるはず、と情報を出しあって捜索しているということ。
近所さんとの繋がりについて考えさせられました。

被害が大きい地域についての詳細は、日を追って報道されるようになり、大きな地震による影響、尊い人命がこうまでして簡単に失われていくのかと呆然としました。

あの日の朝のカタカタカタという揺れは、
その後の日本の激動の始まりだったなと振り返ると思います。

あれから29年。
早いものです。早すぎるように感じるのはきっと私も歳をとったから。

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