寺地はるな氏の『白ゆき紅ばら』読後感想..歪んだ欲、それを愛情と呼ぶのならそれは一方通行な自己満足だ
読後しばらくしてからも、あの描写はあの意味なのかなとか、あの文章にズキュンと射抜かれたよ!などと思い返して余韻が続く本が好きだ。
さて今回は、寺地はるな氏の『白ゆき紅ばら』
のレビューを。
ネタバレがあるので、ちょっ!そりはやめちくり!って方は、読了後分かち合いましょう。
私に寺地氏の作品について語れるかと言うとその資格は、ない!と胸を張って言える。
なぜなら初寺地氏だから💦
てなわけで、どんな世界が待ち受けているのかワクワクしながら読み始めたわけだけど。
えぐるえぐる。
人の持つ欲望を多面的に。
「のばらのいえ」というシェルター的性格の、母と子を救う施設を立ち上げた2人とそこで育った2人の女子を軸に話は進んでいく。
そこに心の底からの善意は無いのか!
と叫びたくなるのよ。
欲に裏打ちされた打算。
可哀想な子達を救ってあげてる私たちって、
とっても良いでしょ充実してるのよ、みんなここに来て幸せなのよ、がどんなに上部だけのハリボテなのか、これでもかと描き出される。
育った2人のうち1人は、逃げ出すわけだけど。逃げ出す前は高校生のヤングケアラーとして奴隷のようにこき使われながら、進路を絶たれ、本人の意思とか特性とか個性なんて否定的なだけの大人たちの勝手な言動に心底嫌気が。読んでる私も逃げるのを手助けしたくなる。
それなのに結局のばらのいえに帰ることになる祐希(主人公)。
その心には残してきた紘果を救うのだという気持ちがずっとずっと流れている。
結果として、この2人はずっと自分たちのために大人たちを騙していた、人生の時間をかけて騙していたわけだけど、逆に大人たちは欺瞞に満ちたのばらのいえで2人から人格以外のものを搾取していたわけで。
そりゃそうなるよね、っていう展開。
2人は結局ある意味自力で他の世界に行くことに成功。
そこからは2人がつつましくも人生を考えて暮らしている姿が描かれ、清涼感で心が洗われた気持ちになれる。
読後感はとても良くて、かと言って主人公たちの今後は決して平坦ではなさそうだけど、喜んでそれに挑んでいく姿が想像できる。なんなんだ、大人って、自分の歪んだ価値観と欲望と、勝手な思い込みでほんと嫌なやつ多いよね、ってちょっとベクトル他の方にも向いたりして、この本をきっかけに色々思うのもまた面白い。
さてもし次に寺地はるな氏を読むとしたら、何が良いでしょうね!
色々な作家さん、物語以外の世界にも行きたいものです。
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