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マタイ受難曲 バッハコレギウムジャパンatタケミツメモリアルホール

チケットを購入した瞬間、そのコンサートに行くことが現実化し、当日の開演までそこに向かって時間が流れていく。
それが楽しみでならない、今回のマタイ受難曲はまさにそうだった。

追加公演をするとわかって、これは日曜日だし行かねば!行こう!と。

今回は若い方に聴きにきてもらいたいということで、学生割引はなんと1500円。
しかもどの席種も、だそう。

もう大人になって久しい私は正規料金だけど、この学割は魅力的すぎるので、子どもたちにオススメ。なので子どもたちも急遽聴くことに。

さてマタイ受難曲当日は、イースター。
指揮の鈴木雅明氏が開演前に、初めて聴く若い人たちや、リピーターにもと短いレクチャータイムでお話しくださった。コーラス部分の位置付けや、ソリストについてなど勉強になる。

さて、私は毎回マタイ受難曲では
42曲目のバリトンのアリアを楽しみにしている。
ヴァイオリンソロの、音の並びが好き。
多分この世のどの曲の中でも1番好き。

さて、バッハコレギウムジャパン(BCJ)の演奏はテレビで聴いたことがあるのみ。
どのような演奏なのかと思っていたら、最初の一音で心を持って行かれた。
なにこれ!やわらかくて、丁寧で、美しくて澄んでいて。空気が含まれていて。
あー文字にできない、もどかしい。

そしてこの少人数でこのクオリティ。
エヴァンゲリストも、イエスも、カウンターテナーの方も、バリトンソロの方も、そしてソプラノの方もアルトの方々も、合唱も、すごい。

3日連続の3日目で、ソプラノの方すこーし疲れてた?とは思ったけれど、伸びがそれを凌駕。

多分指揮の鈴木雅明氏の解釈が、深い。そしてメリハリというのか、伸ばしどころとか引きどころとか。

3時間以上の演奏があっという間って。

歌詞は、字幕があり、私の内面にぐいぐい来ます。原罪について、それから生きていることで重ねている自分の罪や、嫌なことなど全て出てきてしまう。蓋を開けたかのように。

コーラスが十字架につけろと叫んでいる。
辛い、でもその場にいたらそっち側だったかもしれない、衆愚という言葉が浮かぶ。

アリア(バリトン)が
私も喜んで、自らをなだめ、
十字架と苦き杯を受け入れ、
主に従って、飲み干そう。

と、うたう。

あゝ、自分もだ。と思う。
そして、自分しかこのコンサート会場にいないのではないかと錯覚するほど、目の前にいにしえの光景が浮かぶ。
あえて説明するならば、舞台と私の前にスクリーンがあってそこに映し出されているのを眺めている感じ。このリアル感。

BCJの演奏は、高い技術があって、さらに技巧とかそんな部分が全く見えない心に訴えかける何かを重要視しているのかなと思わせられる。
終盤エヴァンゲリストの感情の高まりとイエスの言葉や、中盤民衆が煽動されて発する言葉の結果のペトロの後悔。そしてローマ隊長の言葉がコーラスで高らかに歌いあげられるところは、涙なくして聴けなかった。

本当に、この人は神の子であった。

さて、楽しみにしていたヴァイオリンソロとバスのアリア、バリトンは加耒徹さん、ヴァイオリンは若松夏美さん。
ブラボー!でした。叫ばないけど。
転がる銀貨、少し広くて乾いた地面、神殿、風とともにユダの身体が揺れている。
放蕩息子とは違う結末だけど、本質はどこにあるのか、華やかにも聞こえるメロディーだけど、また私の心に考えることを増やしていく。

よく、良い映画は何度見ても良いし、その時々で受け取り方が変化したりすると言うけれど、マタイ受難曲もそう。今の私の精神状態のどこに響くか、またはどこの傷を癒やし、どの傷に気づかせるか。

そんな自分とも向き合った3時間強。
やはりコンサートホールに行くのは良いとも
感じた1日だった。

演奏した方々には心から感謝。

終わってしまって抜け殻になってしまったのは計算外だけど笑。

タケミツメモリアルホール

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