私が企画をする理由
私が企画について語るとすれば、
やはりこちらの方は外せないだろう。
今はnoteから遠ざかっているが、戻ってきたとしても企画へのモチベーションはさほどないかもしれない。できることなら、あまり期待をかけすぎないであげてほしい。
2年近く仲間たちと企画をメインに過ごしてきた。
それほどまでに惹きつける『企画』っていったい何なのだろう。
みんなの俳句大会を例にとれば、1つの企画を準備期間含め2ヶ月も惹きつけることができたのは、あの手この手で惹きつける手腕がこの方にあったからだ。
そしてもっとも重要なことは、
そこに人との繋がりが見えるということ。
企画する側も参加する側も楽しめるような仕掛けを作る上で、参加者がいかに気軽に楽しめるか。また入りやすいゆるい仕掛け、多少のことなら融通を利かせるような大らかさがそこにあった。
参加してもらえば終わりなのではなく、作品を通して心の繋がりを得る。それがお互いに企画をする側も参加する側にとってもモチベとなる。言葉の向こう側には生身の人間がいる。それを忘れないように、寄り添うことを常に大切にしてきた。
みん俳が大きく成長できたのは、最初に仕掛けの下地を作ってくれた運営の方々、そして各方面から支えてくれたり温かく見守ってくれた方々の支えがあったからに他ならない。
しかしそれも、すべてコロナの隔離期間による束の間のこと。それぞれが現実に戻れば、1日中noteのコメント欄を飛び回る妖精🧚♀️などはもうどこにも存在しない。
ただし、世の中に絶対ということは存在しないと思っている。もしかしたらいつか新たな形で、再始動する可能性もここに置いておく。
今、その花火の残骸のような私が、
やっぱり企画の運営側に回っているけれど。
ここから離れようと思ったことも
ないわけでなく。
今はたくさんの企画がnoteを駆け回っていて、そのすべてに手を伸ばす余力はもうない。活気のあるnoterたちが元気に企画を飛び回っている姿は頼もしい限りだ。
私にとって企画とは、
自身を成長させるアイテムのようなもの。
企画の作品を作る時は、そこに普段吐き出せない感情を一緒に放り込む。俳句や短歌に固執しない。そもそも私のnoteの起点はエッセイだった。その後にショートショート、俳句。すべては企画で出会った人たちがいたからこそ導かれたもの。あらゆる創作の手段は「私」を表現するためのコミュニケーションツールになっていった。
企画にテーマをもらわないと作れなかった作品が山のようにある。企画をする側にとって、そんなきっかけを提供できることができたら嬉しい限りである。
みん俳を休止したあの夏から、もうすぐ1年。
そろそろこんなことを書いてもいいかな、と思いました。
企画があなたの作品のきっかけになることを
作品を通してあなた自身に出会えることを
願いながら。
というわけで、こちら。
新たな休みん俳企画が立ち上がります。
休みん俳企画では、
クルースタッフのうちで可能な人だけが
一緒にサポートしていきます。
無理なく、楽しく。
を合言葉に。
これは自分だけじゃなく、相互に。
無理させないこと、相手も楽しめること。
ひとつひとつの交流を大切にしていきたいのです。
作品を通して皆さまに出会えることを
楽しみにしています。
お馴染みの方も新しい方も、よかったらぜひ✨
あ、みん俳メンバーのPJさんの企画は、私も関わってるので個人的に一緒に推していきます💗
よろしくお願いします( `・∀・´)ノ ✨
⭐️企画内イベントも開催中
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