喋れない僕と、歩けない君。【才の祭】

空はどんよりと鈍色にくすみ、街はすっかりクリスマスカラーに染まっていた。黒いコートを着た僕だけが、世界から取り残されたようにぽつんと、人混みを歩く。

駅の階段を上がると、目の前を車椅子の女性が進んでいく。すれ違った瞬間、

「あっ」

と、同時に何かが倒れた音がした。振り返ると、車椅子が倒れている。その脇で、女性が地面に横たわっていた。


一番近くにいた僕は反射的に車椅子を持ち上げた。思ったより、ずっしりとしている。それから遠慮がちに、横たわる女性のほうに手を伸ばした。

が。

彼女は首を横に振る。

差し出した手を引っ込めにくくてどうしようかと思っていると、

「大丈夫です、ありがとうございます」

彼女は歯を食いしばるように両手をついて体を起こし、自力で椅子に座り直した。僕は行き場のない手をぶらぶらさせながら、その一部始終を見守る。

なんとか元に戻った彼女は顔を赤らめて僕をちらりと見ると、小さく頭を下げた。僕が頷くと、彼女はエレベーターに乗り込む。その後ろ姿を見送り、僕は改札に向かう人混みに紛れた。






僕は、いつも一人だった。

昔から、しゃべるのが苦手で。

人混みだと、
話してる声が聞き取りにくかった。

皆と同じことをして、
同じものを食べて、
同じところで笑わないといけないことも、
あまり好きじゃなかった。

そんな賑やかなグループを遠目にキャンパスを歩いていると、その群れの中から一人の女性が滑り出てきた。

いつも笑いの中心にいた女性。
思ってたより、ぐっと視線が低くなる。
彼女が車椅子だったことに、そこで初めて気づいた。


「この前は、ありがとう」

グループの視線がこちらに集まる。あわてて軽く会釈して去ろうとすると、

「あ、まって。この前のお礼に、良かったら一緒にお昼食べない?」


僕は言葉に詰まった。女性と2人で食べるなんて、今までしたことがない。いったい何をしゃべればいいんだ?どう返事をしようか迷っているうちに、彼女は学食へ向かっていく。意外に早い。僕はその後ろを早足でついていった。




僕が安くてそこそこうまいと評判のカレーライスを頼むと、彼女も同じものを頼んだ。向かい合わせに座り、黙々とスプーンを口に運ぶ。

会話の飛び交うオープンテラス。
冴えない男と、清楚な女子。
僕はなぜ今、向かい合わせでご飯なんて食べてるんだろう。

あっという間にカレーを平らげると、彼女が美味しそうに食べるのをぼんやり見ていた。


サヤは、僕と同じ2回生だった。学食はカレーとラーメン以外美味しくないこと。行動学の教授は単位が取りやすいこと。英文の教室はエアコンが壊れてること。僕らは取り止めのない話をした。

いや、僕はほとんど話していない。
うん、とか、そうだね、とかだけで。
ほとんど彼女が話していた。

だけど不思議なことに、居心地がいいのだ。

もっと彼女の話を聞いていたい。



しかし僕は。

何を、話したらいいのか。

どう、話せばいいのか。

わからない。

耳が雑音で覆われてしまい、
彼女の声もよく聞こえなくなる。

午後の講義が始まる時間になると、僕たちはそれぞれの教室へ向かった。




それからしばらく、構内で彼女をよく見かけた。

実は同じ講義をいくつも取っていること。
無意識に通っていたスロープや、教室の一番後ろの広いスペースが、彼女のものだということ。

僕は初めて気づいた。

どんな小さな段差も、彼女の道を妨げてしまうことを。



しかし構内はバリアフリーに優れていて、不自由はないらしい。どちらかというと電車を使う往復が大変そうだ。


念のため言っておくけど、
僕はストーカーしているわけじゃない。

どこのサークルにも所属してない僕と、
どこにも寄り道しない彼女。

帰り道で時々、会うことがあった。


大学から歩いて駅まで行き、エレベーターで改札に向かい、電車に乗る。僕には当たり前なことも、彼女には毎日の試練のようだった。

わずかな段差を避け、スロープを使い、時には誰かに助けてもらい。

それでも彼女はいつも笑顔だった。

まるでこんなの苦でもなんでもない、というように。



駅にはこじんまりとしたイルミネーションが点灯している。

「綺麗だよねー、イルミネーション。私この時期が1番好き。」

と彼女は電車を待つ間、カラフルに輝き出したクリスマスツリーを見ながらつぶやいた。

「こんな体だから、イルミネーション見に行けないもんね。だから、ここで十分」

彼女は両手を口に当て、白い息を吐きながら微笑む。


そうか。

人で混み合うイルミネーションなど、
車椅子の彼女は到底見に行けないだろう。

雑踏をぶつからないように歩くだけでもやっとなのに、電車で長時間移動し、さらに狭い道や段差を避けて歩くのはかなり難しい。

でも…

「あ、あのさ」

と口を開いた瞬間、彼女はこちらを向いた。

ーしまった。

話すのが苦手なのに、僕はいったい何をいうつもりなんだ?


目が見れない。やっぱりやめようか。いや、でも。彼女は僕の次の言葉をじっと待っている。僕は大きく息を吸うと、深く深く深く息を吐いた。冷たい空気が胸の中に滲んでいく。

「よかったら、イルミネーション、見に行かない?えっと、人がいなくて、車で行ける。すごくいいとこ」


「ほんと?いいね!いこいこ」

たどたどしい僕に、彼女はにんまりとした顔で即答した。まるで何をいうかわかっていたかのように。そんなに顔に出ていただろうか。





そこは、僕のお気に入りの場所。

街から少し離れたスカイラインを登った頂上に、街を見下ろせる隠れスポットがある。この時期は特に空気が澄んでいて、いつもよりずっと遠くまで見渡すことができた。

「わぁ、すごーい!」

木のシルエットの向こうに見える、僕たちの街。

あれが本当に、いつもの街なのか。
と思うほど、美しく繊細な光を放つ。

一面に溢れんばかりの灯りがそれぞれに瞬いて。
まるで夜空の星が一斉に地上に降りてきたようだった。

「街のイルミネーションには及ばないけど..」

ぽつりといって彼女を見ると、彼女の目には涙があふれていた。

「私たちの街って、こんなに綺麗なのね..」

彼女は輝く夜の街を見つめながら、ポツポツと話し始めた。


「私、こんなだから、気を遣われることも多ければ、邪魔そうにされることもある。行ける場所も限られるし、できることも少ない。みんなの前で笑ってる私は、本当の私じゃないみたい。

時々、無性にイヤになる。こんな世界、なくなっちゃえ。私なんていなくなっちゃえ、って」

彼女が吐く白い息は、どんどん暗闇に消えていく。その先には、取り残されたかのように微かに輝く星が見えた。

「どこかであきらめてたんだ。私はずっと死ぬまで、このままなんだ、って。あんな街、全然好きじゃなかった」


彼女はそこで、自分の足を見た。動かない足。きっとどれだけ泣いて、苦しんで、生きてきたのだろう。何かを一つずつ、あきらめてきたのだろう。全部わかってあげることも、代わってあげることもできない。だけど。

「でも、世界はこんなに綺麗なんだね」

そういうと彼女は再び街へ目線をやり、キュッと唇を結んだ。


ごちゃごちゃと人も思考も入り乱れた、僕らの街。

僕もこの街は、そんなに好きじゃない。

だけどここから見ると、
そんなことどうでも良くなってくる。

なんて、美しい街。
なんて、生き生きと輝いてるんだろう。

そしてここに立つ僕は、なんてちっぽけなんだろう。心が空っぽになって、僕の中に光が吸い込まれていくようだった。

だからここは、僕の大切な場所。
僕が僕でいるための。


それから僕たちは、たくさんの話をした。

今度こそ、僕はいろんな話をした。しゃべるのがとても苦手なこと。人混みだと声が聞き取りにくいこと。暗いと言われつつも純文学が大好きで、来年は日本文学を専攻しようと思ってること。



まだまだ、たくさん話せる気がする。

話すことが、こんなに楽しかったなんて。

「話し始めると止まらないのね」

彼女はクスクスと笑った。

僕の話を真剣な顔で聞いてくれる君のために。

君が何一つ、あきらめたりしないように。


この溢れるほどの光の中に、僕たちは帰る。
街にいればきっと見えないだろう。
しかし、確かにそこにある。
それで僕たちは、またあの場所で息をすることができるんだ。


一筋の光が暗闇に飲み込まれるように、車のヘッドライトがスカイラインを降りていく。その先には眩い光を散りばめた夜の街がどこまでも広がっていた。








愛のストーリー、お待ちしています✨


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