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『パスト ライブス/再会』感想。人生の分かれ道について

 映画を観ながら、大切な人に「ご飯食べた?」って聞くの、すごく素敵な文化だなと思った。わたしも食べるのがめんどくさくて、ご飯を抜いてしまうからよくわかるけど、食べないとフラフラになってしまうし、イライラしやすくなってしまう。だけど、精神的に疲れているときや、タスクが過剰に溜まっている日は、食欲がないし、食べる暇もない。生命維持に必要不可欠な割に、デリケートな欲求だなと、わたしもよく思う。だから、「ご飯食べた?」のフレーズには、相手の今日一日を気遣っているような響きがある。ヘソンのカバンからナヨンのご飯がさらっと出てきたとき、ヘソンにとってナヨンの過ごす1日は、当たり前に想いを馳せる存在なんだなぁと思った。彼の想いが、決して思い出になってないんだなぁとも。
 ふたりがお互いの気持ちを声にのせられず、沈黙したままで過ぎていった2分間のシーンも、すこしの要素で人生が大きく変わることが表れているシーンだった。あのタクシーが到着するのが、10分後だったら?彼らはもっとふたりの空白の12年を埋めるような会話ができたかもしれない。だけど、2分後にタクシーは到着した。彼らは、自分の想いを相手にぶつけることができないまま、最後のハグを交わす運命だった。彼らはきっと今世ではもう会わない。ナヨンがアーサーに「韓国に行ってくる」と言っている姿は、ちょっと想像できない。ナヨンは、ヘソンとの未来を選ばなかったし、ヘソンもナヨンが去っていく人だから、自由に歩いていく人だから、ナヨンに心惹かれるんだということを、はっきりと悟った。ナヨンは、家の前で不安気に待つアーサーを見て、涙を堪えきれなくなった。ヘソンは選ばなかったひとであり、彼の前で泣いてしまったら、「失ったもの」への未練や後悔を、認めてしまうことになったのではないか。そしてそれはヘソンに隙を見せることにもつながる。ナヨンはアーサーを誠実に愛しているから、そんなことはきっとできない。
 ナヨンのお母さんは、カナダへの出立の前、「失うものもあれば、得るものもあるでしょう」とヘソンのお母さんに語った。ナヨンはニューヨークで劇作家として、好きを仕事にしているし、何より、自分の胸の中で初恋の彼を想って泣くことを許す、優しいアーサーがそばにいる。配偶者はひとりだけ。根を下ろして住める場所もひとつだけ。ニューヨークでアーサーと生きる。それがナヨンの今世の「縁」だった。
 誰しも、重要な人生の岐路で、選ばなかった道がある。20年しか生きていない自分でさえ、「あのとき、別の選択肢を選んでたら、今どうなってるんだろう?」と思うことがあるくらいだから。隣で観ていたおじさんが、最後のシーンからエンドロールまで、ずっと泣いていて、誰かへの想いを拭い去れないまま、今の家庭を築いている人ってけっこう多いのかもしれないとも考えた。だけど、映画館を出たとき、悲壮感はなかった。ヘソンの「またその時会おう。」という言葉が、決して夢物語に聞こえなかったからだと思う。


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