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経歴と経験と挫折感

私は何がしたいのか。
なんで助産師を目指しているのか。

看護師15年目。
新生児看護、呼吸器内科、外科、整形外科、消化器内科、腎臓内科、代謝内分泌科。いろいろな部署を経験してきた。その中で私が得たものは、患者に寄り添うことの大切さと難しさ。そして看護師という職業の無力感。

新人で就職したNICU時代。初めから特殊な部署に配属になり、一緒に入った同期が採血やルート確保などどんどん出来ることが増えていく中。赤ちゃんのお世話をして、哺乳瓶を洗っている自分に、私は何になったんだ?と焦燥感を感じていた。
それでも、「入院が来るよ!」「双子カイザー入るよ!」「32週!レスピ準備しよう!!」そんな言葉が飛ぶとそこは一瞬で緊張が走る。育児の場と医療の場を行ったり来たり。その緊張と緩和に押しつぶされそうになった時もあった。
少しづつ着実に成長する赤ちゃん達。
初めは罪悪感でいっぱいで涙を堪えられないママ達が少しづつお世話できる事が増えて。普通お腹の中にいて見る事ができないこの期間を少しだけ早く見てお世話できる幸せを感じながら赤ちゃんとの絆を深めていく。

赤ちゃんを沐浴して3時間ごとにミルクとオムツを変えて観察していく。何もないその一日一日を積み上げていくことの大切さを感じると共に、自分の成長を感じられなくて4年で希望して転職した。

転職先では呼吸器内科外科病棟に配属になった。
肺がんの患者が圧倒的に多かった。初めて出会うがん患者さん。私ごときの若造が知った顔して調子はどうですか?何か不安なことなどあったら話してくださいと声をかけることに抵抗しかなかった。
何も知らない。何も経験してない。自分が患者だったら私のような看護師に自分の思いは話さない。

それでも自分に出来ることをするしか無かった。身体を拭きながら声をかけ、車椅子で気分転換に景色のいい窓から外を眺めにいくこともあった。
便が出ていない患者さんに摘便をしたら泣いて喜ばれた事があった。
明日があるとは限らない人達と接する事の怖さと、そうした人たちの強さを感じて、出来ることをやるしか無かった。残業もたくさんした。やりたい事がたくさんあって終わらなかった。
今思えばいちばんやりがいを感じていた時期だったと思う。

プライベートでも結婚し、結婚3年後から不妊治療を開始した。転居に伴い退職した。約6年勤めた。

次の職場では整形外科病棟に配属になった。半年後に妊娠して産休に入るまでの1年半。ほぼ腰掛け状態。何にも楽しく無かった。感動もなかった。勉強もしなかったし、記憶に残るエピソードもない。ただこなすだけの毎日だった。

不妊治療をして授かった子供は可愛くて可愛くて目に入れても痛くないとはこの事だと思った。
出産は辛かったけど、感動したし幸福感を味わい尽くした。入院期間の6日間は私にとって天国にいるような至福だった。
育休期間中も幸せで楽しくて可愛かった。

育休1年で復帰した。配属は消化器内科病棟。とにかく忙しくて忙しくて苦しかった。仕事だけじゃなく、育児との両立が苦しかった。時短で上がってもそのあと子どもを迎えに行って、歩いて帰宅。1人だったら15分の距離を毎日寄り道したり駄々をこねたりしながら1時間くらいかけて帰宅。帰宅後からの進まない夕食作り。夕飯が20時すぎる事がざらにあった。寝ずに夜勤に行き、夜勤明けも子供と過ごした。段々と頭がおかしくなっていったと思う。
仕事をしていても記憶ができなくなった。思考ができなくなって。決断ができなくなった。いつも不安で経験年数的には中堅層なのに2年目や3年目の看護師が怖くて。自分の判断に自信が持てなかった。
勉強も出来ていなくて知識もなかった。わからない事が分からなくて不安だった。

夫婦仲もボロボロだった。こんなに頑張ってるのにもっと早く寝かせてとか家片付けてとか料理に野菜ちゃんと使ってとか言ってくる旦那は敵でしかなかった。でも二人目が欲しかった。不妊治療を再びして無事に授かった。産まれるまで、産休に入るまでの日々は本当にボロボロだった。ギリギリだった。仕事に対する感動もモチベーションもほぼなかった。間違いのないようにこなす事。それだけだった。

二人目は全前置胎盤で癒着もあり予定帝王切開、子宮全摘となった。子ども3人欲しかったから残念だった。当時は喪失感があった。ふとした時にもう産めないんだなと落ち込みそうになることもあった。

2度目の復帰は腎臓内科病棟。現在に至る。今回の復帰では体勢を整えられた。車通勤、出勤日以外にも預かってもらえる保育園、洗濯乾燥機、宅配ミールキット。1人目の時とは比べ物にならないほど楽に過ごせている。環境を整える事が本当に大切。
それでも、1人になりたいと思うし、全てを投げ捨てて自由になりたいと思う事がある。

仕事はとにかく介護度が高すぎて終わらない。介入する暇もない。相手のことを何も知らないまま終わってしまう。寄り添うには時間的にも精神的にも余裕が必要。余白が全て業務に奪われていく。

そして今に至る。
私は何がしたいのか。寄り添える看護がしたい。
もっともっと一人ひとりの話を聞きたい。ただ業務に追われて点滴をつないで、顔も見ないで体位変換して記録ばっかりしている仕事の仕方を変えたい。

自分の今後のキャリアを考えた時に、私はもう少し一人一人に向き合える働き方をしたいと思った。
興味がある分野は訪問看護と不妊治療だった。そして、今回は不妊治療の方に挑戦したいと思った。
助産師として不妊相談や産後のケアに関わりたい。話を聞くことで、一緒考えることで、相手を認めることで救われる事があることは自分も救われた立場だがらわかる。
何も出来ないかもしれない。
何も救えないかもしれない。
でも、もっと一人一人に丁寧に関われる仕事がしたいと思い助産師になりたいと思いました。

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