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#2 私は何故AVに出たいのか(1/2)

私がAV女優になりたいと思ったきっかけについて。
前回の日記でほんの少しだけ触れさせて貰ったが、今日の日記では、私は何故AVに出たいのか、そして私という人間についてさらに踏み込んで書いていこうと思う。
(思いの外長くなってしまったので、前編と後編に分けました🙇🏻‍♀️)

私は4人妹弟の長女として、ごく普通の家庭で生まれ育った。
幼い頃は家の中でお絵かきやピアノ(というより小型の電子キーボード)をして遊ぶ控え目な子どもだったらしい。
実家は飲食店を営んでおり、母と父は私達のために土日も忙しく働いてくれていた。
そのため、休みの日はおじいちゃんやおばあちゃんの家に遊びに行ったり、両親に代わって妹や弟の世話、家事や料理のお手伝いもよくした。
子どもの数の割には少し窮屈な一軒家で身を寄せあい、決して裕福では無いけれど大きな幸せに包まれてささやかに暮らしていた。

幼稚園生の時は茶道や鼓笛隊、クラシックバレエなどをやった記憶もある。
習い事は続かない性格だったが、小学校に上がってから始めたオーケストラと英語の塾だけは比較的長く続けられた。
図工や音楽、道徳や国語の授業は好きだったが、運動がどうしてもダメで体育の授業や運動会は苦痛だった。
何をするにも平均点で、特にこれといった特徴の無い子という感じの私だったが、振り返ってみると、物心ついた時から性的な事への関心だけは周りよりもちょっぴり強い子だったと思う。
それに加え、考え方やモノの感じ方が他の人と少し違うのかもしれないとうっすら感じ始めていた。

それが確信に変わったのが中学二年生の時。
当時好きだった同級生の彼から「AV」というものの存在を教えてもらった。
そして初めてAVを見た私は、何故か直感的にこの職業にとてつもなく惹かれてしまったのだ。
今でこそAV女優は憧れの職業なのかもしれないが、当時は今ほど寛容な雰囲気は無く、この職業に就きたいと思う自分とその周りを取り囲む自分以外の世界の全てとの、看過し難い温度差をひしひしと感じた。
そんな事を思いつつ、私はこの年に同じくして初めてセックスというものを体験した。
初めてのセックスは期待していたより気持ち良いものでは無かったが、それ以上に、自分の中の閉ざされていた何かが開かれて一気に風通しが良くなるような、そんな精神的な部分での満足感に驚いた。
ところが、周りより少し早く処女を捨てた私の噂はすぐさま同級生の間で広まり、案の定私はからかいの対象となってしまった。
投げかけられた言葉の数々は、一つ一つが鋭利な刃物のようで、私の心に深い”傷”を作った。
世間ではそれを”トラウマ”と言うのだろうか。
自分の全てが否定された気がしたし、心無い言葉の暴力や冷ややかな視線から逃れる為に、私は自分だけの特別なアイデンティティをも消し去ろうと努めた。
この経験から、私の中のAVへの淡い想いは芽生えたその瞬間に存在しなかったものとして、無自覚の内に心の奥底へと封印してしまった。

苦い思いを植え付けられた中学時代だったが、高校では再び平穏な学生生活を送った。
よくあるスクールカーストで言えば頂点でも底辺でも無い、真ん中をフラフラとしているような生徒だったから、特別目立つ事も、敵を作る事も無かった。
周りの大人たちや初対面の人からの評価と言えば「常識人」と言ったところで、勉強は出来ない訳ではなかった為、何となく優等生ポジションに置かれることが多かった。
何か新しい事をしたくて軽音楽部に入部してギターを始めたり、ホームステイの受け入れなんかもした。
友達はいない訳では無かったけど、ずっと一緒にいるのが何だかしんどく思えて、あえて一人でいる時間を作ったりもした。
三年間ほぼ毎日登下校は一人でしていたし、学校終わりに制服のまま秋葉原に行って意味も無くぷらぷらしたり、休み時間は自分の机の傍から離れたがらなかった。
特に放課後一人で図書室に入り浸ることはよくあった。
進学校でも有名校でも無かった母校で唯一誇れたものは、狭い図書室に眠っていた魅力的な何冊かの本だった。
そんな私の高校生活は側から見れば地味で平凡なのだろうけど、自分としては充足感のあるものだった。

そして私は無事第一志望の大学に合格し晴れて大学生となったのだが、そこで人生が変わる経験をする事となる。

To Be Continued...!(後編に続く)

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