今ここは愛だらけ
昨日はNARUTOを観ていたら、興奮してしまって眠れずにいた。
今だいぶ佳境。もう、涙腺崩壊してる。
さて。
しばらくあたしは、満たされない世界にずっといた気がする。
でもそれはNARUTOで言えば幻術にかかっていたようなものだったとわかった。
(わからない人ごめんなさい)
その世界から逃れるために
たくさんのメソッドやら考え方やらを採用してがんばってみた。
いい時もあったけど、でも満たされない気持ちは相変わらずあった。
現実では、それなりにいいことがあっても、素敵なものを手に入れたとしても
一時は幸福度があがるものの、
それはまた浮かび上がる。
そして思考がぐるぐるとめぐる。
なんなんだよ。
もう万策尽き果てた。みたいな気持ちになっていた。
そしてまた新たなメソッドを試す日々。
そして思考はさらに増えていた。
なんでだろう。
なんでこんなに満たされないんだろう。
いつになったらわたしは満たされるんだろう。いつになったら探求をやめられるんだろうと思った。
ある時、思考は自分の意志とは違う。という概念にたどりついた。
当たり前のように毎日ひっきりなしに聞こえていたこの声。
自分の考えだと思って従っていたこの声はわたしではない?
嘘でしょ。と思った。
でも、それから思考の声を観察するようになった。
こうなるよ、ああなるよ、絶対。
これは終わりだよ。これは最悪、絶対。
これは一生続くよ、絶対。
大変なことになるよ、絶対。
思考の声は、絶対、をつけて不足を叫んでくる。
そして一生その状態が続くような雰囲気を醸してかる。
私にはどうすることもできない。そして、どうにかしなければならない。
はやく、はやく、行動!
わたしに似た声で。
延々と同じことを言う。
この、思考の声について
ちゃんと向き合って観察してみることにした。
ほんとうなのか。答えは、ノーだった。
冷静に考えれば、同じことがずっと続くわけがない。
絶対もない。
そして、現実は、みているものなんて全体のほんの数パーセントなのだ。
しばらく思考の声を観察したあと、
思考とは、わたしの経験の記憶を元にした、AIみたいなものだ。と思った。
でも、このAIの音量がマックスになっている現状をどうしていこうか。
そう考えたとき、
今ここ、が浮かび上がった。
今ここの、わたしの体や、周りの物、そのものを見渡したとき
なーんにも起きていないことがわかった。
ただ、今があり、この体がある。
例えていうならば思考は
脳が勝手に生成した私の記憶でAIが作ったテロップが流れていたようなものだなぁ、と思う。
言葉を取り除いたとき残ったのは
わたし、という生き物と、平凡な世界だった。
ほーんとになにも起きていなかった。
満たされない世界なんてどこにもなかった。ただ、あるのは今だけ。
そこに意味付けして勝手に雰囲気つけて
満たされない私を作り続けていただけだったんだ。
ホラー映画の暗闇って、ほんとこわいですよね。
暗闇がこわいんじゃなくて
音楽。
醸す雰囲気。
それっぽい言葉。
本当は暗闇があるだけなのに
雰囲気でこわいと思っていただけなんだ。いわば自家製ホラー。
それを世界にも人にも物にも自分にもやっていたことに気づいた。
自分の脳内から見た世界における
意味づけと、雰囲気作りが肝なのではないか。
そしてその脳内の世界を彩ることで
気分がよくなるんじゃないかと思う。
様々な願望は、願望を叶えることにより
気分がよくなることを欲している。
なら脳内の世界を変えて仕舞えば
ゴールなのでは?となったのです。