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出来ないことは罪ではない


 はじめまして!まーさんです。

 自他との違いに悩むことが多かったからか、自分のことを客観視したり、責任転嫁したりできる人文学系の本が好きで、人間らしさがよく現れる鬱ゲーをよくやります。多分人一倍自我が強くて、他人に興味のある面倒くさいやつなんでしょうねー。(他人事)

 今回は、その中でも特に私が大好きなProject Moonという会社が制作した「Lobotomy Corporation」の中の「マルクト」というキャラと自分を比較して一人反省会でもしていこうかなと思います。

 この「マルクト」というキャラは、他のキャラが物語上仕方がないと思われる理由でお亡くなりになるなか、自分のプライドの高さで己を滅ぼしたといえるキャラです。しかし、だからこそ非常に人間味があると私は思います。

おっちょこちょいマルクト

 彼女は、おっちょこちょいで情熱的な性格ですが、決して能力が高いとは言えず、ミスを犯すことが少なくありませんでした。そのため、コギトという物質を取り出す実験に参加できず、自分でコギトを服用してしまいました。

    まあ、自業自得といってしまえば、それまでなんでしょうけど、ここでは、最近大学で習った「EQ」を基に考察していきます。

 「EQ」とは、ゴールマンが提唱した「IQ」を模して作られた通称で心の知能指数のことで、人とうまくやっていくことが求められる社会生活を成り立たせるには、「IQ」と同様に必要不可欠な要素です。

 その中でも、自身の能力を等身大に評価することのできる「自己覚知」が彼女と私には欠けているなと感じました。

 私も、昔から自分ができないということを許すことができなくて、小中学生のときは、何回もできる問題を繰り返したり、間違えている問題に丸を付けたりしていました。きっと自己をきちんと分析できていなかったのでしょうね。その結果、時間の割に成績が伸びず、受験には失敗しました。

 私は、「なんでこんなに頑張っているのに正当に評価してくれないのか」と怒り、悲しみました。きっとマルクトも自分がきちんと評価されていないと考え、このような行動を起こしてしまったのでしょう。

 昔予備校に通っていた時、「大人になることが受験に受かるためには必要」と講師が言っていましたが、きっと、その中には「自己覚知」も入っているのでしょう。

 もちろん、マルクトの実験や、私がかつて行っていた受験勉強のようなものには、「今自分にはどれくらいの実力があるのか」を問う「IQ」が必要不可欠です。それを追求してしまったからこそ、マルクトや私は、自分を過大評価してしまったのでしょう。
 
 しかし、「自分には今何が足らなくて、どのように対策していけばよいかを考えることができる」能力は、同じくらい必要とされているのではないでしょうか?

 「できないことは罪ではない」。まずこの自覚を持つことが大事なんでしょうね。

 


 


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