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甘えるということ

母から電話があって、「余計なことかもしれないけれどやっぱり気になって」と言う。いつも行くお店のマスターに、「あなたちょっと甘えすぎなんじゃないの」と。
実家に帰った時に、マスターにお世話になって話をしていたからだと思う。
軋むドアに注すオイルをいただいたり、調理家電借りたり、自転車修理してもらったり、キャリーケース借りたり、発表会の搬入で車出してもらったり、誕生日プレゼントいただいたり、時に外でご馳走してもらったり。
「あなた本来むしろ人に甘えないほうなのに、ちょっとどうかと思って」と。

そうなのかなー。
マスターは結構面倒見のいい人で、私以外の人にもいろいろやってあげている。まあここ1年は、私は贔屓されているほうだろう。しかも私は、週に1回通う程度で、遣う額も太客とは言えない。お客さんの平均年齢からしてまだ「若手」「女子」であることによる恩恵もたぶんある。
安めとはいえ、週に3回も4回も通える、まあまあお稼ぎになられている(お稼ぎになられてきた)60代、70代からしたら、元ワープアの40歳なんて貧しく見えるのかもしれない。

でもなー。
空気ってあるじゃん。固辞するのもなんだし、っていうときもある。
それに、応えようとするならお金を遣うのがいいのかもしれないけど、私程度が頑張ったってという気もするし、たぶんそういう気持ちで遣ったらバレるし(他の人で目の当たりにしてきた)、じゃあマスター以外の常連さんたちにはどう返せばいいのって感じだし。
そうやって give & take ばかり考えたらめんどくさくて、誰からも give & take しない/されない暮らしがいいんじゃないのと極端なことも思うけど、そんな頑ななのってどうなの。

ぐるぐるして、結局結論は変更なし、変化なし。
でも弁える。
結論は一緒でも、考えてそこに落ち着くのと、何も考えずに変えないのは違うよね。

よね?

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