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ぼくの兄貴はスフィンクス

ぼくが中学生のころ、お風呂からうめき声が聞こえてきたことがあった。

そのとき兄貴が風呂に入っていたのだが、「うっううっ……うっうっ…」という非常に不気味な声だったから、ぼくも母も兄貴が心臓発作か何かになったと思って心配し急いで風呂場に駆け込んだ。

「たーかー?!大丈夫ねー?!」

母が勢いよくドアを開けて風呂場を見ると、兄貴がスフィンクスの体勢で糞を漏らしていた。

(イメージ画)

正確にはこんな神秘的な顔じゃなくて、もっと神父に懺悔する死刑囚みたいな顔で泣いていたのだが、とにかくスフィンクスみたいだった。

ぼくはなぜスフィンクスが風呂場で糞を漏らしながら泣いているのか分からなくて、泣いたような気もするし腹抱えて笑ったような気もする。

母は半ばパニックになりながらも、「どうしたの?!」と至極真っ当な疑問を口にしたが、兄貴は相も変わらず「ううっ……ううっ」と鳴き声をあげ本物ばりに佇むだけだった。

多分お腹壊しながらお風呂に入ったら急に波が来て決壊したのだろう。

この危機的状況に立ち上がったのは、パニックになりつつも親としての尊厳を保とうと努力した──他でもない母であった。

母はスフィンクスの腕を掴んで無理やり隣のトイレに押し込み、即座に風呂場の掃除に取り掛かった。

30分もすると、スフィンクスの聖遺物はキレイさっぱりなくなっていたので、このときばかりは流石に母親の強さを感じずにはいられなかった。

兄貴の情けなさも感じずにいられなかった。

こういうことが2、3回あった…。

さて、ここまでは如何に兄貴がスフィンクスであるかを説いてきた訳だが、大学に入る前、兄貴が別の伝説的動物である可能性が浮上した。

ぼくが大学受験のために当時八王子の大学生だった兄貴の住む学生マンションに転がり込んだ時のことである。

明後日は第三志望の試験ということもあって、その日のぼくはやや神経が張っていた。

閉室時間ギリギリまで付設の読書ルームに閉じこもって勉強し、さぁ今日も頑張ったぞと自分を激励して寝床に就いたぼくは、ぼんやりとテレビを眺めながら東京のチャンネルの多さに少し興奮していた。

兄貴もまたぼんやりとテレビを見ていたのだが、ぼくを気遣い「明日も早いし寝ようか」と言ってテレビを消してくれた。

部屋が暗くなってから30分した頃だろうか。

ぼくはトイレから聞こえる「おっ…おるろっ…!オろろっっっ!!!」という奇妙な鳴き声に目を覚ました。

ビックリしてトイレのドアを開けると、兄貴が便座にもたれかかって嘔吐していた。

受験前の大事な時期に、慣れない東京で、唯一頼りになる兄貴が急に吐き出したのだ。

ぼくはノロウィルスだとか食中毒だとかを危惧してものすごくおそろしくなったしこの後について不安でいっぱいになった。

ぼくは泣きたくなるような気持ちで兄貴に尋ねた。

「大丈夫?どうしたの?」

「すまん、ワイン飲みすぎた」

安心感と殺意とが同時に湧いて、もう笑うしかなかった。

さっきまでの心配とか不安とか諸々ふっとんだ。結果論ではあるが、これによって緊張がほぐれて第三志望には合格した。

口から液体を出す…大事な時に現れて結果的に平穏をもたらす…もしかしたらぼくの兄貴はマーライオンなのかもしれない。そんな兄貴がぼくは嫌いじゃない。

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