“できない・分からない前提“で自分も相手もハッピーに
noteを開いていただき、ありがとうございます。
凜音です。
誰もが人生で一度は、相手に対して「何でできないの?」「何で分からないの?」と思ったことがあるでしょう。学校の先生やお父さん・お母さんに特に多いと思います。
しかし相手にこのようなことを言ってしまっては、自分も相手もいい気分にはなりません。
タイトルにある“できない・分からない前提“というのは、このようにならないための私なりの考え方です。
今回はこの“できない・分からない前提“について、詳しく書きます。
なぜこのような考えを持つようになったか?
最も大きなきっかけは、特別支援学校に勤め始めたことでした。知的障害のある高校生を相手にしていますが、彼らに“自分の普通“を求めて「何でできないの?」と思ってしまっては、生徒の教育によくないからです。
例えば、識字のできない生徒に対して「何で読めないの?」「何で書けないの?」と思っていては仕事になりません。また、生徒にも嫌な思いをさせてしまいます。このように思っていても、誰一人として幸せになりませんね。
特に特別支援学校では、生徒のできないことよりもできることに目を向ける必要があります。生徒の特性上、できないことがあれば他の方法を取って生徒に自信をつけさせることが必要です。例えば字を書けない生徒に対しては、教員が下書きしたものをなぞらせたり、字の書いたシールをプリントに貼らせたりします。
このような、生徒に対して“できる・分かる“を求めすぎない教育の仕方によって、私はより生徒の“できること“に目を向けられるようになりました。そうしていくうちに、任意の他人に対しても“できる・分かる“を求めなくなっており、気づけば“できない・分からないという前提で人と関わる“という考え方が身についていました。
この考え方のメリット
この考えの最も大きなメリットは、自分とは価値観が異なる人や知識量が異なる人に対して苛立つことが減ったことです。例えば、スーパーでマスクをしていない人を見かけても「自分とは感染症に対しての危機感が違うのだ」と割り切り、近づかないようにします。
以前は「屋内でマスクをしないのは非常識」や「マスクをしていないなら近づくな」といちいち苛立っていました。しかし、この考え方とセットで他人へ期待しないこと・自衛することが身に付いたので、苛立つことがかなり減りました。
また、自分が知っていることを相手は知らないという前提で動いているので、説明するのが上達したと思います。noteにアップする記事も、初めて読む人でも分かるように書いているつもりです。そのため、他の記事も気にして読んでみていただけると嬉しいです。
一方でデメリットも…
一方で過剰にこの考え方をすると、デメリットも生じます。極端な例ですが、関わる人すべてを何も知らない・分からない3歳児と思い、一つひとつの物事を0から教えるとします。すると、相手は馬鹿にされていると感じるのは明らかです。
これについては、私が支援学校で生徒と関わる際も気をつけています。できない前提で何でもかんでも手出ししてしまえば、生徒は馬鹿されていると感じてしまう上に、教育的にも良くありません。しかし、生徒一人ひとりの特性上できないこともあるので、このバランスを取るのはとても難しいです。
この考え方で相手を不快にさせないためには、相手のできないこと・分からないことが見えたときに「仕方ないよねー」と割り切るくらいがちょうどいいと思います。
今回は、私の考え方の一つを紹介しました。つい相手に対して「何でできないの?」「何で分からないの?」と思ってしまう方は、是非この考え方をしてみてください。そうすればきっと、精神衛生が良くなります。
また、この考え方をすることで物事を説明するのが上達します。しかしこれは、自分が知っていることを相手は知らないので、分かりやすく説明しようと考えた場合です。“自分が知っていることを相手は知らないから、説明しても無駄“と考えてしまっては、いつまで経っても上達しないので注意してください。
今回のように私が支援学校に勤めて得たことを、できる範囲ではありますがもっと発信できたらと思います。『支援学校で学んだこと』というマガジンを作成するので、気になる方はこちらもフォローしてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
他の記事も読んでいただけると嬉しいです。
それではまた。
りおと
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