一番なりたいを認める

「ねえ、みんなは大人になったら何になりたいの?」

2003年1月、おジャ魔女どれみシリーズは4年間のアニメシリーズの最終回を迎えた。
その直後同年3月、保育園の卒園式で私は高らかに宣言した。

「わたしは おおきくなったら マジシャンになりたいです。」


Mr.マリックが流行ってたんだよなあ。
テレビで見るトランプマジック、
図書館の司書さんが読み聞かせ中に見せてくれた、本の中身が一瞬にして真っ白になってしまうマジック、
親戚のお兄さんが披露してくれるコインマジック、そのどれもにワクワクした。
5、6歳ともなったら、マジックに種も仕掛けもあることをよく理解していたけど、エンターテインメントだと理解して楽しんでいた。
サンタさんからもらったプレゼントの包み紙が、自分ちの車に積んであったことも気づいていたし、
物でつっかえて扉が開けられない部屋が、グラドルのお姉さんが表紙を飾る雑誌で溢れていることも、大体分かっていた。

だから、どんなに私が魔法使いが大好きでも、魔法使いになれないことは、自我が芽生えたころにはハッキリしてたんだな。これが。


小学校の卒アルには、「ディズニーのパレードダンサーになりたい」とかって書いてた。
私はダンスを習っていなかった。
でもあのダンサーさん達の姿が、眩しくて楽しくて、なりたい自分に一番近いと思った。

「なりたい自分が本当の自分」みたいな台詞が、しゅごキャラにあった。
ずっとその通りだと思う。というか信条にしている。
「なりたい自分」がいる限りアイデンティティを保っていられるんだ。
そんなことを信じ続けてるうちに、理想と現実のギャップに苦しむ思春期から抜け出せない成人になってしまった。
私達はこんな思春期みたいな自意識からいつになったら抜け出せるんだろう。


中高生くらいになると、妹が「将来の夢って何?」と聞いてくるようになった。
「立派な大人」とおどけて答えた。
妹はいつも納得しなかった。聞きたいのは職業だ、と。
私は私でいつも腹を立てた。
職業が自分を定義づけるものじゃない、って。
いや格好つけすぎた。
そんなん話しても時間の無駄だ。いずれ出来る仕事をするしかない。そんな感じ。


いま仕事をしている。出来ることをしている。
学生時代に身に着けたことが活きてる。一番好きなことじゃなくたって十分だ。

一番。一番は選ばないし、一番は目指さない。
なんだかな、


一番ってのはよく分からない。
飲み物を買う時はいつも迷ってしまう。
ミルクティーが飲みたいけど、あとでぬるくなったミルクティーは飲みたくない。
カフェオレも好きだけど、飲めば飲むほど喉が渇く。
喉を潤すなら水が好きだけど、家でなら浄水器があるのに水を買うのはちょっともったいない。
爽健美茶とかを買いがちだけど、なんとなく、この味好きなのか?って疑問に思いながら飲む。

前置きが長いな。

一番なりたかったものは分からない。分からなかった。
一番好きな飲み物も分からない。一番着たい服も分からない。
だから、好きなものを聞かれたら、二番目くらいに好きなものを言ってしまう。

「ねえ、みんなは大人になったら何になりたいの?」
なんだろう。どれみちゃん。なんだろう。
『魔女見習いを探して』の予告編を見て、どうしようもなく寂しくなってしまったんだ。


2003年、保育園の卒園式。
私の一人前の女の子が、「魔法使いになりたい」と言っていた。
あ、それ私が言いたかったんだけどな。言ってもいいんだ、それ。
早生まれで、組の中で私が一番遅い誕生日だったけど、
多分もう誕生日を迎えて6歳になっていた彼女の無邪気さを、心の中で呪った。

とか言って、大好きな先生と会えなくなるのが寂しすぎて、式の間中わんわん泣いてたんだけど。


あんまりかわいそうだから、代わりに言ってあげるね。
私が一番なりたいものは、魔法使いです。
二番目になりたいものは、女優さんです。
三番目になりたいものは、人様の母親です。


お、やっと1つ認められるようになったぞ。やったね。30ポイントプレゼント。


調子に乗ってお題タグつけちゃったんだけどさ、少なくとも8月31日に考えていることではあるしいいよね。嘘はついてないぞ。

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