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戦争を考える 078 日下公人氏

十数冊しか読んでいないのに、私淑というと、かなり言い過ぎかもしれないが、久しぶりに、「人間はなぜ戦争をするのか 日本人のための戦争設計学・序説」を読み直してみたが、実に痛快であった。今更ながら、歯切れの良さを味あわせていただいた。やはり昭和ひとケタの見識には、学ぶものが本当に多い(反面教師もいるが)。先日、鬼籍に入られた、漢詩の泰斗である石川忠久先生には親炙に浴したが、戦争の実体験をされて、学識、見識、そして研鑽を積まれた方々は、昨今テレビやネット等で、底の浅いコメントをしている一部の大学教授等と比較するのも失礼なのだが、月と何とかである。閑話休題。日下氏の著書を、是非読んでいただきたいが、これまで小生が述べて来た内容を振り返ると、影響を受けているのは明らかである。以下、幾つかを、前後の文脈を気にせずに、ランダムに紹介させていただく。
弱いほうを応援するというのは、(中略)弱いほうについて戦争を長引かせるためである。
(第二次欧州大戦の始まり)一つは、ポーランドが譲歩しなかったこと。二番目は、ドイツが旧領回復に武力を行使してポーランドに攻め込んだこと。三番目はイギリスとフランスがポーランドを支援して、九月三日にドイツに宣戦布告したことである。その意味では、大戦争にしたのは、イギリス・フランスのせいでもある。
国家総動員体制はナチスドイツの真似をしたと言う人が多いが、実際はスターリンの真似である。
妄説がはびこるのは、結論が心地よいからだ。
閉鎖集団には、多くの弊害がある。その最たる例が、仲間内の失敗を揉み消すということである。
部下に責任を押しつけることは外国でもあったのである。
両手を上げて出ていけば助かる、という国際条約は存在しない。降伏とは、集団でするもので、これは現在の米軍の戦闘マニュアルでも、そう書いてある。
軍隊は敗戦したが、国家は終戦である。敗戦というのは軍隊用語か文学用語だ。国家を語る法律用語で言えば終戦で、法律用語に敗戦という言葉はない。無条件降伏したのは日本国ではない。日本軍である。
大東亜戦争に関する最大のウソは、マッカーサーが日本に残していった東京裁判史観、侵略戦争史観である。
実際に見られる多くの戦争の目的は、敵の継戦意志の破砕である。
「正義と邪悪が戦う」というのは国民全部を決起させるのに用いられた宣伝だが、こういう戦争をすると講和条約にならない。
戦争は設計するものである。戦争は政治の延長である。ところが、日本には戦争を設計するという考え方すらなかった。ただ、戦争だけをしていた。
以上、日下氏の慧眼を、ごくごく少しだけを挙げさせていただいた。あらためて、歴史に学ばない人々が、民族、国家を越えて存在していることを、ひしひしと感じる今日この頃である。何よりも、日本の政治家、マスメディアの見識と勇気の欠如が、亡国への道へと誘っている可能性の高さに、より多くの日本人が気がつくべきだと思う。先送り、責任回避、前例踏襲、現状維持、平和ボケは、もういい加減にしていただきたい。北朝鮮のみならず、中国共産党軍のミサイルまでが、領土、領海、領空を虎視眈々と狙っているというのに。写真は、ワルシャワ。オー、ショパーン!

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