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理由はない。ふと、思っただけ。

ふと、ノートを書く。

今日はフットサルをしてきた。チャリで代々木公園のフットサル場に行き、フットサルをして、チャリで代々木公園のフットサル場から帰る。

帰ってきて、ウォーキングでもしよう、と思い、右の腸腰筋が痛いことと左のアキレス腱が痛いと思いながら東京ドームへ夜のお散歩に。

全く意味はないのだけれど、意味を持たないただの時間が欲しいなぁと思い、ひとまず歩いている。足が痛いから走らない。でも信号で止まらない限り歩くことはやめない。

さっき、フットサルで、初めて会った人たちとボールを蹴ったのだけれど、23歳と言ったらとても驚かれた。

他人にどう見られても正直、その後にこの人と仲良くなるとかはほとんどの確率でナイのだから、どうでもいいと思ってしまう。

その場が楽しければよい。何も問題はない。

こういうニンゲンです、という仮面はある気がする。しかし、赤の他人の前で晒す自分が、自分の「素」なのかと聞かれると、全くわからない。

5年付き合った彼の前では、素だった?小学生の頃からの友達の前では、素なの?家族といる時が、素?

どれもしっくり来ない。

最近、周りに買いかぶられている気がするのは気のせいだろうか?それが自分にとってプレッシャーになっていないだろうか?

期待されている?

いや、されていない。誰も期待などしていない。面白い、の材料でしかないと思った。いつ、誰が私に期待している?

フットサルの帰りに、元彼に言われたことばを思い出した。なんてことない、よくあることば。

「変わったよね」「何かに夢中になってるリオが好きだった」

それなら別れる前、私は何に夢中だった?それは、きっと、彼氏だ。彼氏との生活だ。

仕事がつまらない、と感じていた私は、定時で帰り家で彼氏の帰りを待っていた。ご飯を作ったり、買ってきたり。なんてことない普通の、カップルの同棲生活。

このまま結婚するんだろうな、そう思っていた。嫌なところも多くあるけれど、サラッと結婚して、子供産んで、幸せかなぁ、考えていた。

それでも、今考えると、やっぱり何も見えていなかった、気がする。

でなければ、こんなことはない。唐突にギクシャクして、私は彼に「この関係、どうする?」と聞いた。

彼は「別れる」という話を自分からは持ち出さなかった。私の話に乗り、私たちは別れ話を進めた。


正直に、私は彼が運命の相手だと思っていた。初対面の日、彼の後ろ姿を見ただけで心臓がバックバクだった。

でも、最初は、好きという感情はなく、先輩。ただのバイト先の先輩という認識で、付き合うとは全く思わなかった。

二人で、京都・大阪に行き、付き合い、遠距離をして、口約束で婚約をして、一緒に住んで、喧嘩をして。

別れたくなかったというのが本音だ。でも、一緒に生きることは出来ないんだろうなと、心の中では考えていた。

理由は、全てひっくるめて、性格が合わない。方向性の違い。それだけだ。きっとほとんどの別れる理由なんて“それだろう“、と思ってしまっている。

彼が言った「変わったよね」が、わたしには難しかった。趣味が変わった、それだけだ。ただ、ハマっているものの対象が変わったのだ。

私は彼と別れて、フットサルや自転車にハマっている。ほんと、その、そこだけだった。


しかし、今、なぜこの話を書いているのか。聞かれたら、ふと思ったから、でしかない。

今の私なら、また彼に好きになってもらえるのだろうか、その価値があるのだろうか、と考えたからなのかも知れない。

しかし、価値なんてものは、ずるい、ひどい言葉だと思う。

誰が決めるのか。綺麗とかカッコいい、可愛い、そういうことじゃない。人の感性。ニンゲンの感じるもの。価値なんてのは、全部いっしょで、対等だと思うのだ。

だから、私は考えることをやめることにした。

今年の誕生日は、1人で、彼と行った場所でもある所に行く。

正直、今の私にとっては、そこの場所が好きなだけで、「彼と行った」は付属品でしか無くなっていることに気が付いた。

見返したいのだろうか。そんなことは考えていない。また、やり直したいのだろうか。それもないだろう。

人生の何分の1かの5年間を、一緒に過ごした人。不思議だなぁ。他の人には思わないのだけれど、この彼には思うのだ。長かったか短かったかは分からないが、濃かったのだろうなぁ。

私は、今、とっても幸せである。

悩んだり、人生難しい、と思うことは多々あるが、それでも、とっても幸せだ。

家でダラダラとYouTubeを見ている時、好きな人と遊んでいる時、フットサルをしてはしゃいでる時、自転車に乗ってボーッと進むだけの時、全て幸せだ。

どこにも素はなくて、全てが私というニンゲンを構築している。

仕事の愚痴も普通にあるし、飲みすぎて翌日後悔するし、面白いことないかな〜と言っている時もある。

でも今はそれでいて、それで充分で、楽しいと感じられている。

やっぱり、彼に、今言いたいことはないし、何も願っていない。ただ、「いっしょに生きていくことはできなかったけど、幸せになろうな!」とは常に思っている。

ここまで書いて、本当に、なぜ、こんなことを書いているのだろうと思った。でも考えても答えは出ないので、他人任せにしようと思う。

未練があるように捉えられたら、それはそれだ。ほら、感じ方は人それぞれだから。5年付き合ったら、未練はゼロではないから。きっと皆んな、どっちの意味でもそうだと思う。

惜しさを感じることの対象がそれぞれ違うだけだと思うから。

さあ、お風呂に入ってゆっくりして眠ろう。明日も仕事をしよう。