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今更ですがタピオカについて教えていただきたいことがあります。

タピオカ。今年は爆発的に流行したようで、いろいろなところで「タピオカ」の文字を見かけた。「タピ活」というワードが生まれていたときは驚いたが、それほど流行したという証だと思う。

タピオカに関しては、今年初めて入って来た食べ物(飲み物)というより、何年か前からすでにあり、今年大爆発したという印象なのだが、そういう人は一定数いるのではないだろうか。

さて、本題に入ろう。

わたしは、タピオカを今年の夏、初めて飲んだ。家族と一緒に訪れた、サービスエリアで「タピオカ抹茶ラテ」(正式名は申し訳ないがわからない。タピオカといえばミルクティーが一般的だと思うが、わたしは抹茶が好きなので、抹茶を選んだ)を飲んだのが最初だった。

タピオカの存在自体は随分前から認識していたものの、特に飲む機会もなかった。そのサービスエリアには、数多く並ぶ飲食店や土産物屋に混じって、タピオカ専門店も店を出していた(ソフトクリームなども販売していた覚えがある)。昼食休憩の名目で入ったサービスエリアだったが、わたしはお腹がまったく空いていなかったので、タピオカにした。フランクフルト等の軽食、という選択肢ももちろんあったのだが、固形物より流動物の方が口にしやすかったし、タピオカドリンクを一度飲んでみたいと思っていたので、迷わずタピオカを選んだのだ。

店員さんから渡されたタピオカを席について口にする。抹茶ラテに関しては今まで何度も飲んだことがあったので、いつもの味、といったところだが、さあ、そこでタピオカ。

確かに、甘い抹茶ラテのあとに流れ込んでくるタピオカは、口触りもよくて噛むともちもちと歯ごたえがあり、美味しい。少し硬めの白玉みたいだと思った。硬いせいで咀嚼して飲み込むまでいくらか時間は要するものの、たくさん口に入ってこない分ちょうどよく、美味しく食べられる。

しかしわたしは、ラテを二口三口飲んだところで、気がついた。

抹茶ラテに対して、タピオカの量が多すぎる。いや、抹茶ラテがストローに流れてくる量に対して、タピオカが入ってくる量が圧倒的に少ない。

わたしはかなり序盤で、ペース配分を強いられた。このままでは、ラテだけ飲み干してしまって、タピオカだけが残る。甘いラテに浸かっているからタピオカも美味しいのであって、タピオカだけ残ったタピオカドリンクは、最早なんだというのだ。タピオカそのものとでも言えばいいのか。タピオカは、一緒に飲まれることを想定していない、カップ内の氷ではないのだ。タピオカ含めて「タピオカ抹茶ラテ」であるのだから、最後までタピオカを楽しむのが流儀だろう。

話は少しそれるが、わたしはこういう「玄人残し」があまり好きではない。例えばカレーライスなら、必ず最後、ご飯よりもカレーが多く残るように配分して食べ進めるし、丼ものでも然り。最後はご飯の割合を少なめにして、おかずを楽しむ。定食にしてもそうだし、グラノーラでもそうだ。「やはり白米はそのまま食べるのが一番ですね」という、玄人舌を申し訳ないがわたしは持ち合わせていないので、必ず味が濃いものが最後、口に残るように配分している(麺類だけは例外かもしれない。うどんやそばの場合は、麺が最後に残るよう配分する)。もちろんタピオカに限らず、この食べ方には賛否あると思うが、わたしはこうなので許してほしい。

このままではいけない、とわたしは覚った。最後は抹茶ラテとタピオカを一緒に飲み終えるか、抹茶ラテだけが残っている状態が、わたしには好ましい。その瞬間、わたしにとって手の中にある「タピオカ抹茶ラテ」は、「美味しく楽しむもの」ではなくなった。

戦いの始まりである。

わたしは、タピオカを多めに吸い込めるように、タピオカに照準をあわせて次々タピオカを吸い込んだ。自然の摂理に任せていれば、タピオカは二粒程度しかこちらにやってこない。強行策が必要だ。

タピオカがこちらへやってくるように、わたしは外からタピオカの場所を確認してはタピオカを飲み、咀嚼した。おかげでタピオカは綺麗になくなり、残ることなく抹茶ラテと一緒に飲み干すことができた。

しかしこれは、正しい飲み方だったのだろうか?

世の中のタピオカに夢中になった人々、主に若い女性も、こんな風に毎回タピオカと格闘しながら飲んでいたのだろうか。それとも、わたしが知らないだけで「タピオカの闇」として、タピオカだけが残ったプラスチック容器が街の至る所に残されている映像が、報道されていたのだろうか。

はたまた、たまたまわたしが購入したお店のサービスがよくてタピオカの量が多かった可能性だってもちろんあるし、タピオカが順調に吸い込めるストローや飲み方があるのかもしれない。

いやそれ以前に、世の中の人のほとんどは「タピオカは残ってしまうもの」として享受し、タピオカを最後まで残して、最後はタピオカだけで楽しむ、という飲み方が一般的であってもおかしくない。

わからないがともかく、わたしには大きな謎が残ってしまった。季節はすっかり秋を過ぎて、冬に差し掛かろうとしている。街中の人は皆長袖を着用し、厚着になり、寒さも見え始めてきた今、今夏ほどタピオカを飲む機会は自然となくなっていくだろうが、今でも気になって仕方がない。

これからもタピオカが日本で生き残り続けたとして、はたしてわたしが、「美味しさ」だけを楽しめるタピオカドリンクを、飲める日はやってくるのだろうか。

「おしゃれな飲み物を」「おしゃれに」飲める日は、わたしには遠そうだ。


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