埼京線逆走妄想日記 第一弾
真夜中の浦和の街を埼京線が駆け抜ける。
席の端に座り揺られているのは疲れた顔したサラリーマンだ。
昨年までの彼は輝いていた。
金属メーカーの営業を勤める彼は
入社からトップクラスの成績を残し昇給・昇格のウィニングロードを駆け抜けていた。
その強引な手腕に工場の面々からの評判はすこぶる悪かったが、優秀な成績がそのすべてを跳ね除けた。
風向きが変わったのは今年の4月。とある辞令が発布された。
『事業の効率化を図るため、拠点を統合する。それに伴い、営業部は工場勤務とする』
彼の会社は前年のホールディングス化により各子会社が都内各所に点在していたが、拠点を1箇所に集約することとしたのだ。
しかしそれでは全社員が入居することが出来ないために彼が所属する営業部が浦和の片隅にある工場へ飛ばされることになった。
社用車は1人1台与えられたが、埼玉と東京の物理的距離は彼を苦しめた。元々フットワークの軽さが売りで、何かあればすぐ顔を出す彼の営業スタイルは古い体質の企業ウケがとても良かった。
しかし朝の上りと夜の下りでまともに進まない首都高速ではその翼はもがれたも同然だった。
それ以上に彼を苦しめたのは工場の人間が近くにいることだった。今までは電話とメールで丸投げして逃げていた仕事が、ことあるごとに営業のオフィスまで乗り込んで来て怒鳴りつける工場長と共に舞い戻ってくるのである。まともな説得力など無い彼の仕事は悉く納期を守れなかった。時には人手が足りない工場の仕事のヘルプまでさせられる始末だ。
悪影響は私生活にまで及ぶ。
独身の彼は都心の一等地に部屋を借りたばかりなのである。
勤務地が変わるまではさっさと直帰して夜遊びにも精を出していたのに、今は高い家賃を払って工場まで3時間の往復の日々。自宅まで二駅の得意先で夕方まで商談があっても、現場が逃してくれないので毎日逐一工場に帰らなければならない。
そんなこんなで営業成績は底まで落ち、現場からの圧と移動距離のストレスで疲れ切った顔をしているのだ。
元はと言えば身から出た錆だが、この生活に耐えかねた彼は転職を考えている。長い通勤時間はうってつけだ。もう二度と帰らないと決めた故郷に戻るのも悪くないか、などと巡らせながらしかし結局寝てしまうのであった。
…プライドの高い彼は、恐らくUターンの選択はしないだろうし転職活動も手こずるだろう。
しかし気付いているだろうか、自分が置かれている状況を。
拠点を集約したということは、大方家賃を払えなくなってきたと言う事だ。更に営業なのに工場の作業もやらされるという。現場に人が足りないほど首を切ったのだろう。会社の経営は中々厳しいと思って良い。
では真っ先に切られる不要な部署は?集約した拠点にいられなくなった人たちだ。
況してや成績が落ちて会社に迷惑をかける彼の先が短いことは明白だ。そうでなくともこの部署に安住の地はない。
目先の利益しか追えない彼はきっと気付くことは無いだろう。死んだ目で埼京線に乗り続ける限りは。
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