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野性的な母の愛情

今年の年始に去勢をしました。名前を忘れましたが首に着けるやつをしている期間は、エリマキトカゲとかスカパーのアンテナとか色んなあだ名を付けられていました。後姿が哀愁があるのはそのせいでしょうか。


今日は、僕の母の愛情についての話です。当時、元妻の妊娠が分かった時、ふと考えることがありました。


自分は、これから生まれてくる子供に、自分ではない誰かに、日々無償の愛を捧げることができるのだろうか?


人間、生きていれば色んな人と関わります。友人・仕事関係・そして妻と。それぞれに愛情を注いでいたつもりでしたが、夫婦はお互いを補い合う関係であったり、仕事では利害関係があり、友人は毎日会うわけではない。
なので、それを無償の愛とは言えないと思いました。


そうこうしてる間に息子が生まれ、毎日が慌ただしくなってきたある日、母にこんなことを聞いてみました。


『俺たちを育てるの大変だったんじゃない?自分の時間とお金を犠牲にして俺たちの為に生きてきたのは辛かったり嫌じゃなかった?』


母の答えは、『う~ん、大変だったとは思うけど、辛いとか嫌とかはなかったね。理由は分かんないけど。』という感じでした。


理由は分かんないって何だ?そこ聞いて今後の参考にしたかったんだけど。とか思いながら、モヤモヤしながらその時は終わりました。


そこから何か月か経ったある日、同じくらいの子供がいる友人と飲んでいた時に、もし子供が病気になり臓器を提供しないといけなくなったらどうする?それで自分が死ぬことになったどうする?という話になりました。


僕は、まだまだ生きたいしやりたいこともあるけど、臓器を提供すると言いました。飲んだ勢いとかカッコつけてないかとか色々考えましたが、正直な気持ちでした。


その時、気付きました。母も同じ気持ちだったのです。理由はないんです。それは多分、動物的な感覚で、言葉には無い野性的な愛情だったんです。


その理由のない、言葉にない愛情を注いでもらった母に感謝し、今日も葛藤していきます。

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