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ONE PIECEの空島編から知る科学を学ぶ理由

ONE PIECEの空島編はあの「我は神なり」で有名なエネルが出てきた、麦わらの一味一行が空島の存在を地上に証明するために冒険した物語である。

本音を言うと僕は1回目小学生の時にONE PIECEを読んだときはあまり空島編が好きではなかったのだ。理由は、ONE PIECEにしては内容が深く感じなかったからである。しかし、それは僕の読解能力のなさが原因であって今となっては空島編はとてもお気に入りのパートとなっている。

なぜ僕がこの章の良さに気づかなかったのかと言うと、麦わらの一味がその島に到着する400年前のカルガラとノーランドというキャラクター達のストーリーがこの空島編の肝なのに僕がルフィ達がここのパートに出てこないのでさらっと読んでしまったことに原因がある。

カルガラとノーランドの話のあらすじは、ジャヤという島出身のカルガラは最初冒険家として突如現れたノーランドに対し嫌悪感を抱くが"いくつかのストーリー"を経て親友となる。しかしノーランドが1度自分の故郷に帰っている間にノックアップストリームという現象により突如ジャヤは空へと場所を移動してします。故郷に帰ったノーランドは黄金の島とも呼ばれるジャヤの存在を王様に報告し、王様はジャヤに冒険家を派遣するがジャヤの確認ができなくなってしまいノーランドは大ホラ吹きとされてしまう。

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ジャヤにあった黄金の鐘をカルガラが「約束の鐘」と称し鳴らし続けるシーンも名シーンなのではあるが、僕が着眼したのはこのカルガラとノーランドが仲良くなった"いくつかのストーリー"である。

ノーランドの科学・カルガラの伝統

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ノーランドとカルガラの説明を少ししておく。

ノーランドとは優れた冒険家であり、同時に植物学者である。多くの島に冒険している経験がある。カルガラとはジャヤという島にずっと住んでいる人で伝統・先祖などをとても強く重んじている人である。そしてノーランドという人がジャヤに訪れてカルガラと出会ったのだ。

初めてこの二人が出会ったのはジャヤという島で、原因のわからない疫病が流行していた時である。この疫病は神のせいだと考えたカルガラ達は、生贄を神に差し出すことでこの疫病を解決しようとする。しかしこの生贄の祭壇中にノーランドが飛び込み生贄を救出する。生贄を中断させたことは神への冒涜だと感じたカルガラはノーランドを殺そうとする。しかし、この原因のわからなかった疫病は実は外界では解決法が見つかっている疫病であったのだ。しかもとある植物が原因の。

科学に対するノーランドの考え

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原因のわからないと思われていた疫病は実はすでに解決方法が存在していた。しかしカルガラはその存在を意地でも認めようとしない。神を冒涜したやつの話など聞きたくないからだ。ノーランドはそこで上記の様な発言をする。「この成分を世界中のどれだけの人々がどれだけの時間を費やし、探し回ったか!どれだけの犠牲を伴ったかわかるか?この偉大な”進歩”をお前達は踏みつけにしているんだ!!!だからお前達の儀式は彼らへの侮辱だと言っているんだ!!!お前達の古い戒律こそ悪霊じゃないのか!!!そんなに神が怖いのか!!」と。

新しいものを認めず、救える命を救おうとしないカルガラに対し怒りの感情を見せるノーランドである。科学は多くの犠牲の上に成り立つものであり、なんとなくの伝統を重んじて犠牲を生むカルガラが許せなかったのだ。それは科学者に対する侮辱であると。

ノーランドをどう考えるか

要するに何が一番大事なものかを見極めないといけないということである。ノーランド自身も先祖だったり伝統を重んじる描写がある。しかし、科学で解決できるものは新しいものがなんとなく嫌だということで忌み嫌ってはいけないということである。

それ以外でも科学の正しい情報を知らずに、嘘情報・ガセなどを信じ込むこともカルガラのやっていることと同じと考えればより身近になるのではないだろうか。水素水などは最近の代表例であろう。

まとめ

科学者に対して、科学に対して最大の感謝を示す行動としてせめて正しい科学の知識・科学者が残した功績を知ることくらいは科学の最先端を走らない人たちにもできることではないだろうか。

今現在は"得体の知れない疫病"が発生しており何が正しい知識かわかっていないことも多いが、世界中で多くの時間を割いている科学者に対しての尊敬の意を込めて正しい情報を認識していくことが重要なのではないだろうか。

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