飢えと純真
これまで一作も読んだことがない沢木耕太郎を読みたくなったのは、新作「天路の旅人」が話題になっていたからだ。しかし図書館では5人待ち。他の作品もほとんどが貸出中であったため、とりあえず借りてみたのが今回の「流星ひとつ」である。
藤圭子という歌手については、宇多田ヒカルのお母さんであるということを除いては、どんなジャンルの歌手かも知らなければ、当然代表曲を口ずさんでみることもできないし、顔すら思い浮かばない、本当に何も知らなかった。しかし3ページ目に出てくるこの一節で、私は藤圭子が好きになった。
ちなみにこの作品は全編、沢木耕太郎から藤圭子へのインタヴューで構成されており、いわゆる地の文というのは一行もない。ホテルニューオータニの40階にあるバーでこのインタヴューが行われた当時、沢木31歳、藤28歳である。藤がよく注文するというウォッカトニックを二人でひたすら飲みながら。口調は穏やかだが、曖昧な答えを許さない沢木に対し、藤も自分の気持ちを確認するように言葉を探す。だからポンポンと話題が移り変わる雑談ではもちろんない。雪道を一歩一歩確認しながら歩くように、ゆっくりと対話は進む。
インタヴュアーというやつはなぜこうもくだらないのか、と実は私も常々思っている。「きっかけは何か?」「どんな挫折をばねとしたか?」「秘訣は何か?」「あなたにとって○○とは?」「最後にファンに一言」これ以外の質問をするインタヴュアーがいたら是非連れてきてほしい。そして答える方も、大体はこのようなお仕着せのストーリーに当てはまるように答えている(答えざるをえない)。どうにも期待通りの答えをしてくれない人はメディアからは「扱いづらい人」とされるのだ。
芸能人(有名人)とはそういうものだ。百万回された質問でも初めて答えるかのように演じるのが仕事だ。という意見が大半であろうとも藤はそれを嫌がる。だから最初の結婚相手であった前川清氏に「おまえは芸能界に向いてない。だからはやく辞めろと言ったのだ」と後に諭されたと藤は述懐する。もちろん巨大な神輿に乗ってしまった以上、すぐには降りられないという事情も藤にはあったのだが。
あるところで、インタヴューは沢木自身の放浪の旅の話題になる。沢木は、これはあなたのインタヴューなのだから、と話すのを嫌がるが藤は俄然聞きたがる。その旅では30カ国以上をめぐりその土地土地で色々の酒を飲んだがどれも美味しかった。スペインのマラガという街の居酒屋のカンターの隅で、その日獲れたハマグリを売っているじいさんの話を聞いて藤が言う。
18歳でデビューし、シングル総計700万枚、LP(アルバム)総計110万枚、カセットテープ総計150万枚を売り上げた藤圭子が、10年の芸能活動の後に引退を発表した直後にこのインタヴューは行われている。藤の両親は浪曲師で、母親は盲目。インタヴュー中、藤が避けた唯一の話題が父親であった。しかしそれも酒と対話が進むにつれやがて吐露される。両親は、藤を含む三人の幼子を残してよく巡業に出かけたという。その間は近所のおばさんに食べさせてもらったり、もらえなかったりのひもじい日々であった。その後歌手として成功し、いつでも好きなものを食べられる生活を手にした藤だが、なお飢えていた。それは成功と共に失っていった「必死で生きている」という実感であったのだろうか。だとすれば実に皮肉な話である。
我々はよく、人や出来事をひと言で、或いは「わかりやすいストーリー」で理解しようとする。それは実は「理解」ではなく、「消費」である。さらに今日、ネットによる情報過多の時代においてはコスパならぬ「タイパ(タイムパフォーマンス)」が重視されるようになり、消化に時間のかかるコンテンツは敬遠されるか、2倍速で消費される。この作品で沢木は、「理解する」とはこういう作業であると見せてくれている。対象を真摯に知ろうとする沢木の態度と、まっすぐで嘘が嫌いな藤の気質が噛み合った結果、読み進めていくうちに、藤圭子という人物はもちろん、沢木耕太郎という聞き手(書き手)の性質まで手に取れるようであった。そして最後に、どうやら最近、自分は「消費」に疲れていたのだと知った。
久しぶりに書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。どうでもいい事ですが、今回から「です、ます」調をやめ、「だ、である」調で書いてみました。
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