見出し画像

そこらへんの隙間に「おもしろい」が、転がってると思うんだよな。

大学3年目を終えてから、1年間の休学をしてデンマークに留学したのが去年の4月。日常が「余白」で溢れかえっているデンマークでの生活に後ろ髪を引かれながら、大晦日に帰国しました。

帰った直後は「留学のテーマだった“遊び”をもっと探究したい!院に進もう!」と心に決めていたはずが、「あれ、なんかやっぱ就活しようかな。」と徐々にぐらつき始め、もう自分が何をしたいんだか分からなくなり、泣きそうになりながら(実際、泣きじゃくる時もありながら)お世話になってきた人たちに進路相談をしていたのが2月。そこでようやく腹括りました。

大学、もう1年休学します!

実は自分の中にはこれしか答えが無かったんじゃないかと思うくらい、決めた後には腑に落ちる落ちる。それはもう驚くほど、ずっしりと。

2年目の休学にもかかわらず「好きに生きろ〜」と背中を押してくれる家族には頭上がりません。


デンマークで感じたのは「余白」だった

思えば、デンマーク留学の中で一番身に染みたのが「余白」の価値観でした。

向こうで出会った友人の1人は私と同い年ですが、高校を卒業してから3年間ギャップイヤー(大学や大学院入学前に正規教育から離れ、国内外でボランティアやワーホリ、旅行などを通した「人生の経験」をする猶予期間)を取っていて、大学にはまだ行っていませんでした。彼女はよく私に「もう進路を決めていてすごいね」と言ってくれました。でも私からすれば、自分の感情や好奇心に素直で、自分の足で分厚い経験をたくさんしている彼女のことを、ものすごくかっこいいと思いました。

ストレートに“良い”大学に入って、ストレートに“良い”企業に就職することこそ正義、とまでは思っていなかったけど、それでもデンマークの進路選択には日本で生活していたら想像がつかないくらいの「余白」があるのだと実感したのでした。

画像1

目の前に転がってる「おもしろそう」なもの

デンマークでせっせとこしらえてきた私の中の「余白」の価値観は、日本に帰ってきたらいつのまにか「焦り」に変わっていきました。

“自分ってやっぱりこういうことが好きなんだよなあ、うんうん!”という気持ちを意気揚々とデンマークから持って帰ってきた私は、それをどうやって自分の周りに落とし込んでいけるかを考えるようになりました。

さらには、ずっと画面の外で「すっげ〜〜〜」と思ってた人たちにお会いする機会に恵まれたり、ロールモデルと呼べるくらいかっこいいおとなたちとの新しい出会いもありました。

なのに、憧れに近づけば近づくほど、なぜか焦っている自分がいる。自分にしかできないことってなんだろう、自分には何ができるんだろう。これが冒頭の進路選択迷宮入り事件に繋がっていくのでした。

でも。

休学を決めて、ひとつ思ったのは。これまでぐるぐる、ぐるぐる悩んでいたけど、結局は自分の目の前にある「おもしろそう」に気付けるかどうかなのかもしれないな、ってことでした。周りの目を気にし過ぎてしまう私だけど、自分の中でふつふつと湧き上がるワクワクを掬い取っていけるような人になりたいな、なんて今は思ったりしています。

おわりに

ここまで読んでくださっている方は本当にいい人です。ありがとうございます。

今年は、ずっと行ってみたかった地方の遊び場やゲストハウスなどに足を運びながら、日本の知らないとこに行き、ひとに会い、おいしいものを食べるのが目標です。(コロナがおさまれば!!!)

他にも、思いがけずラジオのパーソナリティになっていたり、にんまりしちゃうプロジェクトを最高の仲間と進めていたりと、目の前がわくわくの宝探しです。急ぎ足になってしまいそうなところだけど、たまに遠回りもしながら、存分に探してみたいと思います。たぶん、目を見張れば、そこらへんの隙間におもしろいが、たくさん転がってると思うから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?