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アートがデザインになる瞬間(とき)

AI的解釈の「アートがデザインになる瞬間(とき)」

アートがデザインになる?頭を悩ます前に、設定したテーマに対して最近話題のAIの答えをサクッと参考にみようと思います。

ChatGPTによる答え

やっぱり「アートがデザインになる」時があるとAIも言っています。よし、AIの答えをコピー&ペーストして配信すれば、今回の記事はOK!・・・と終わらせてもいいのですが、せっかくなら人間の能力の一つである華麗なる誤訳にこそ、何かしら新しい価値が見出せるかもしれません。

アートワールドに起きているパラダイムシフト

世界的なコロナ禍で延期されていたアートフェアも再開され、2022年、今年はアートの当たり年と言われています。スイス・バーゼルでは「アート界のパリコレ」と言われるアートバーゼル、「アート界のオリンピック」と言われる2年に一度開催されるイタリア・ヴェネチア・ビエンナーレ、そして5年に1度開催されるドイツ・カッセルの「ドクメンタ」。これらの祭典が、今年一気に行われました。

特に、今回のドクメンタのディレクターは、非欧州圏のディレクターが選ばれたことに注目が集まりました。彼らは、ルアンルパと言われる、インドネシアのアートコレクティブの一員です。コレクティブとは、不特定の集団的なアートグループのことで、現在この「コレクティブ」が注目を集めているのは、個人主義的な限界を乗り越え、より広範な人々との協働のもとで実行される実践が再評価されている社会状況が背景にあるとされています。

さらに、ルアンルパはイギリスの現代美術雑誌『ArtReview』が毎年発表している、アート界でもっとも影響力のある100組のランキング「Power 100」において、2022年度の第1位となりました。

これらが象徴することは、1つは個人主義の限界。そして、コンテンポラリー・アートの定義の大きなうねりが起こっていることが言えるのではないかと思います。興味深いのは、ルアンルパの活動理念は、アート作品を作ることではなく、”No Art, Make friends(アートではなく、友達をつくろう)を活動理念に掲げているところにあるかもしれません。つまり、世界的にイケてるアートの祭典で選ばれた彼らは、社会をえぐるようなアート作品を熱心に作る集団ではないのです。友達を作るのです。

ルアンルパの活動理念「No art, Make friends」

ある意味、資本主義に対するカウンターとして、彼らはオルタナティブな存在として、注目を集めています。
こういった考え方は、インドネシアの社会的な影響もあります。長らく独裁的な政治を行なってきたインドネシアのスハルト政権下の環境では、人々は自由に活動もできず、集団的行動は特に規制が厳しい状況にあり、そういった社会背景が彼らの活動にも影響を与えています。

雑誌『STUDIO VOICEvol.415』では、個人主義を超えて集団的創造を行う彼らの重要なキーワードに「シェア」を挙げています。どうやら、インドネシア後でシェアを意味する"bagi"という言葉は、英語の”give”を意味するようです。つまり、彼らにとってのシェアは、私たちが思い描くシェア(分けていくイメージ)と言うよりは、与えること(贈与的意味合い)が強いようです。また彼らは、集団的にアート活動を続けるために、ベーシックインカム的な制度を導入しているようです。

興味深いコンテンポラリー・アート

昨今でいえば、2021年は「非物質性」の新たな価値となるNFTアートが、アートワールドにおいても注目を浴びました。こちらも、既存のデジタルアートでは、唯一性を担保できずにアート的価値を高めることが難しかったデジタルアートを、まるでフィジカルのアート作品を扱うかのような、希少性を高めるデジタル・テクノロジーとして勃興してきました。(ちなみに、昨年の「Power 100」の第1位は、ブロックチェーンの規格であるERC-721です。もはやアーティストでもなんでもないっ)

これらは、テクノロジーがアートになる瞬間やん、というツッコミがあると思うのですが、「アート」の面白さの一つは、破壊と創造のような流動性であり、アート自身が既存のアートを乗り越えていくことにあると思います。この動きによって、アートには現代における新たな価値を常に見出すことができる仕組みになっています。

誰でも座れる椅子、決して座れない椅子

上述で伝えておきたいことは、現代におけるアート作品はディテールの緻密さは必要であるが、必ずしもフィジカルで視覚的な作品だけにアート的な価値があるわけではないということである(さらに言えば、ルアンルパのようにアート作品すら制作しないこともあります。)そして、これはアートだけにとどまらず、デザインにおいても、ユーザーのエクスペリエンス(経験)はアウトプットではなく、プロセスに他なりません。

デザイナーであれば誰しも一度は聞かれたことのある「デサインとアートの違いは?」という問い。もし聞かれたら、皆さんはどのように答えるだろうか。仮にこの枠内でライトな言い回しで、私が答えるとすれば、座れる椅子を構築するのがデザインで、座れない椅子を創造するのがアートである、とコンセプチュアル・アーティストのジョセフ・コスースの作品『1つの、そして3つの椅子』を思い出しながら、ぼんやりと答えるだろう。1965年に発表したこの作品は、コンセプチュアルアートの先駆的な作品だと言われています。

『1つの、そして3つの椅子』1965年

本来、椅子とは「座る」という対象者の行為によって機能性を保つことができます。この作品では「写真に写った椅子」、辞書の「椅子の意味」をキャンバスに記した作品、そして、「物体的な椅子」が並べられています。しかしながら、その物資的な椅子でさえ美術館の中にあることから座ることができず、本来椅子に備わっている機能性を享受することはできません。

同時に鑑賞者は、目の前にある椅子に対して機能的な解釈なしに「椅子という概念(イデア)とは何か?」という問いに気付き、そして思考を巡らせることになります。その思考を巡らせて批評的解釈や鑑賞者同士の対話が生まれることで、アート的な作品価値を押し上げることになります。つまり、アウトプット(作品)のクオリティがなくともアートは成立するということになります。

贈与的体験から新たな価値を創造する

一方で、アートとデザインの共通項を見つけるとすれば、どちらも「価値の創造」に寄与しているのだ、と言い表すことができるかもしれません。
上述したルアンルパのキーワードに「(贈与的な意味合いの強い)シェア)」がありましたが、フランスの社会学者で文化人類学者のマルセル・モースは、原始的な民族とされる人々をリサーチして宗教社会学、知識社会学の研究を行った先に、人が行う「贈与」という体験には、人間社会を支える重要な価値と仕組みがあることを明らかにすると同時に、等しい価値を相互に交換する「等価交換」があるとしています。

思うに、デザインにおけるユーザーリサーチから体験設計やサービスの情報設計、プロトタイピングといった、ユーザーやタスクに明確な理解に基づいた設計を提供するHCDプロセスの中におけるクライアントとデザイナーの関係性は、企業が持つアセットとデザイナーのスキルの「等価交換」的な価値として捉えることができる、などと定義付けたりすれば、いっぱしのUX/UIデザイナーやサービスデザイナーは、そんな単純なことではないのだと、ちょっと違和感を抱くのではないかと思います。

しかしながら、近代以降の思考は等価交換の考え方が影響していると、宗教史学者・文化人類学者の中沢新一氏は述べています。

贈与がおこなわれるとき、等価交換では伝わらない価値や意味が、相手に伝えられている。等価交換のシステムでは、使用価値の異なるものの間に「同じもの」が見いだされ、この「同じもの」はものごとを平準化して、計算可能なものにつくりかえる力をもっている。このやり方を徹底していくと、世界をとても単純ななりたちに還元してしまうことができるので、経済の世界では大いに重宝され、この等価交換で物品を交換する組織が、史上として発達した。近代的な思考法は、等価交換の考えから、深い影響を受けている。

ところが、贈与では平準化したり計算したり情報化したりできないものが、伝わるのである。心の内面で動いている無意識の思考や、情緒的な感情や、平準世界を抜け出していく超越性への思いなどが、交換されるものや表現を仲立ちにして、伝達されていく。市場の外の経済行為や、芸術と宗教の領域では、等価交換はむしろ遠ざけられて、こうした贈与の原理が前面に出てくる。(258-259ページ)

純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫) – 2009

どうやら贈与的な価値は、人と人の関係構築の意味合いが強いようだ。それは「座れない椅子を創造」したことによって多くの人が、その解釈や議論に時間をかけたり、目的のはっきりしないものに自分の時間を投じたりと、アートには贈与に近い価値を持っているとも言えそうです。

多くのデザイナー達からは、明確な目的のないことに対して解釈に時間を費やすなどとんでもない、と思われるかもしれないが、それは、ある意味で贈与的な行為から社会に対して多くの「問い」を生み出してきたアートの役割として捉えることもできるかもしれません。しかしながら、アートの贈与的価値だけでは、世の中は善くなっていかない。なぜならアートにはファンクショナルな価値を持ち合わせておらず、アートそのものが目的だからです。

贈与的価値から生まれた着想を構想へ変換するとき、デザインが社会にとって効果的であることを改めて認識することができます。それがデザイナーの大きな役割の一つであり、アートがデザインになる瞬間(とき)でもあるのかもしれません。

最後に

本記事はYUMEMI Design Advent Calendar 2022の22日目の記事でした。

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