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あなたの想い出買い取ります

公園のベンチに座る一人の男性

家と会社の往復だけで毎日が過ぎて行く
家族のためにと、仕事一筋で生きてきた彼
もはや、家は安らぎを感じる場所ではなくなっていた

どこにも居場所がない
少ない小遣いでは気軽に飲みにも行けない
せめて、お金でもあったなら…

夕暮れのベンチで、何をするでもなくただ座っている男性

と、そこへ見知らぬ男性が声をかけて来た
「あなたの思い出、売りませんか?」

唐突な話し
新手の詐欺か?
半信半疑のまま、男性はふらふらとその男に付いて行ってしまう

古びたビルの一室
得体の知れない怪しげな機械
椅子がひとつ置かれている
辺りを見回すも、他には何もない殺風景な部屋
促されるままに椅子へ座ると
金属のヘルメットのようなものを頭にかぶせられた

「今日は、あなたの子ども時代の思い出を買い取らせていただきます」
男は表情のない顔でそう言うと、機械のスイッチを入れた
幼い頃の記憶が走馬灯のように男性の頭の中を過ぎて行く…
ほんの一瞬、気が遠くなる
ハッと気が付くと、男がお金を差し出し
「またのお越しをお待ちしています」と静かに言った

なんだ
何かおかしなことでもされるのかと不安だったけど、何も変わってないじゃないか
しかもこんなにお金がもらえるなんて!
男性はお金を手にしたその足で飲み屋街へと急いだ

数日後、大盤振る舞いでお金が無くなってしまった男性
再び、あの男の元を尋ねた

「今日は、あなたの青春時代の思い出を買い取らせていただきます」

その後も、お金が無くなる度に男性は男の元へ
「どうせ俺の思い出なんてロクなものはひとつもないんだ。なくなったって、ちっともかまいはしない。」

子ども時代、青春時代、社会人、恋愛、結婚、娘の誕生、マイホーム…
男性の記憶の中から次々と思い出が切り取られていく
そして、ある日
「今日は、あなたの残りの全ての思い出を買い取らせていただきます。」


公園のベンチに座るホームレスの一人の男性
表情もなくただ沈む夕陽を見つめている

と、少し離れたところに一人の女性と女の子の姿
「あなたー!どこにいるのー!あなたー!」
「おとうさーん!」懸命に呼びかける2人

しかし、ベンチの男性はそれに全く反応しない
彼の中には、もう思い出のかけらさえも残されていなかったのだ


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ずっと昔に観たお話しを断片的な記憶を繋ぎ合わせながら、自分の言葉で文章にしてみました
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自分の中から思い出がひとつずつ消えていくとしたら
果たしてそれはどういう感覚なのだろうか
この話しを書きながら思っていたのは、アルツハイマー型認知症を発症し、4年前に他界した母のこと

発症するずっと前から、頭痛がするとしきりに訴えていた
かかりつけ医の内科の医師は、それを単なる頭痛として薬を出しただけで、それ以上の事をしようともしなかった

どこか言動がおかしいのではないかと、家族が感じ始めた頃になって初めて、専門医を受診
認知症の疑いと診断された

当時の日記を読むと、しきりに「頭が痛い」と書かれている
しばらく後の日記には「最近、物忘れがひどくなった気がする」とあり
その後、「もしかしたら、私は認知症なのでは?」と不安を綴っている
「自分が壊れていくようで怖い」
そう書かれた後からは、漢字が一気に減って、平仮名だらけの日記になっている
その先は、もう意味をなさない文字が絵のように並ぶだけ

認知症になると、顔つきが別人のように変わってしまう
母であって母ではないような…何とも言えない感覚

自分の思い出を切り売りしていく男性を描きながら
過去が消えていってしまう事に怯えていた母の姿を思い出していた

良くも悪くも、ひとつずつ積み重ねて来た、その上に今の自分がある
だから、ひとつたりとも失くしていけない
最後までちゃんと持っていないとね

このSNSで文章を書き始めて思う事がある
ちゃんと思い出せているうちに、自分が歩んできた道を書き留めておこう、と

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