映画『ある男』からのタイパ考察


「シャネルの映画がやっていて大注目しています。私は一人でも行きます」
深夜にそんなメッセージが知人十五名程のライングループに送られて来た。どうにもリアクションし難いお誘いで誰も返事しないのではないかと思い、いや、だからという訳でもないが、私も深夜に返してみた。
「『ある男』(原作、平野啓一郎)も観たいので悩ましいです。」
こちらも答えになっていないが、スルーするのも忍びなく、そんな形になってしまった。翌日その友人(『ある男』は既に小説で読んだらしい)から個別に連絡が来て、『ある男』を観るのであれば、先に『私とは何か––「個人」から「分人」へ』を読むとゾクゾク出来るので是非〜。とお勧めされた。タイミング的にその平野啓一郎の難しそうな本を読む時間は無かったが、その時無料だったオーディブル版を聞き、映画に臨んだ。
 
 ともかく、映画『ある男』むちゃくちゃ面白かった!!!(「面白い」以外のボキャブラリーを私にお授け下さい・・・)そして予習した『私とは何か』効果もゾクゾク、バチバチ来て、自らを偽らざるを得ない人の気持ちにシミジミと思いを馳せ、涙したり。併せて、初めて使ったオーディブルにも味を占め、読むのが遅い私にピッタリではないかと意気込んで、話題になっていたが、ずっと読めずにいた芥川賞受賞作品を面白いに違いないという期待を胸に、2作続けて聞いてみた。
 すると、なんと、残念なことにそれらの小説は全く面白くなかった・・・。芥川賞作品を面白くないという資格は全く持って持ち合わせていないので、あくまでも個人的に惹かれない内容であったことも大きいが、きっと活字を自分のペースで目で追うという作業が省かれたために、面白みが半減したと思われた。同時に非常に勿体無いことをしたような気すらした。もちろん朗読には朗読の良さもあるのだろうけど、私としては「「オーディブルは小説には向かへん!」と強く思うに至り、オーディブルによって原作が翻訳されたようなそんな印象さえ受けた。不慣れな外国語の原文を辞書を引きながら読む際に、二義的な意味合いなども鑑みることで、翻訳では理解し得なかった作品の重厚さを感じられたりするものだが、視覚的かつ多角的に文字/単語/漢字を味わうことの重要性をこの時改めて認識した。
 繊維製品で言うと綿ボイルがシルクサテンに変わるほどではないにせよ、シルク
ジョーゼットがレーヨン製になったり、PBT混の繊細な伸縮生地がポリウレタンで代用され、リプロされたようなそんな変質をオーディブルはもたらすように思われた。きっとそれぞれの素材毎に適したメディアがあるのだろう。買い物の形態もしかり、生地に触れずに衣服を購入する習慣が浸透することは、今後繊維産業にどんな変化をもたらすのか、悪いことだけでないだろうが、あまり明るいイメージも浮かばない、そんなことを思ったりする。
 
 年明け、オーディブルで小説を読むことには挫折したものの、冬休みは有効活用したかったので、村上春樹の『猫を棄てる』という、めったやたらと文字が大きく、挿絵入りの百ページ強で構成された小説を読んでみたら、今度は非常に感銘を受けた。村上春樹の父親との思い出を綴った短い作品だが、自身の老父を想い、そして長く続く戦争を思い、言葉に出来ない感情を掻き立てられる、そんな小説だった。
 どうやら「タイパ」にはそれなりの感覚的訓練が必要なようだ。

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