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自分が居なくなったときのことを考えてみた大学生。

毎日暑いですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

アメトークとテレビ千鳥が生きがいのりんたです。

タイトルがかなり重くてびっくりされる方もいると思いますが、たまにはこういう回かあっても良いかなと。

少し死について考える事があったので、20歳現在の僕が思っている事を書いてみようと思います。

今回は短い記事なので、こいつこんな事考えてんだー。ってくらいに読んで頂きたいです。

未だに印象に残っているセリフ。

僕はドラマが結構好きで、よく見ます。今は半沢直樹と親バカ青春白書を毎週楽しみにしています(生きがいがアメトークとテレビ千鳥だけではなかったです😅)。

今までたくさんのドラマを見てきた中で、特に好きなドラマの一つがTBSで放送された藤原竜也さん主演の『リバース』です。

このドラマは湊かなえさんの小説が原作です。10年前のゼミ仲間5人での旅行中、深瀬、浅見、谷原、村井は広沢が飲酒していることを知りながら彼一人に車で合流予定の村井を迎えに行かせた。広沢は道中で事故に遭い車は炎上して帰らぬ人となり、4人は飲酒運転の事実を隠し続けていた。10年後あるきっかけを機に深瀬はあの日の真相と広沢の死に恨みを持つ人物を調べることにする、、、という内容のドラマです。

そのドラマで、深瀬が冒頭でこう言うのです。

「人間の質は友達の数だと思ってた。」

もう3年前のドラマなんですけど、当時高校生だった僕にかなり刺さったので今でも覚えています。

僕は今もそうなんですけど、決して友達が多いようなタイプではないです。友達は数じゃない、たった一人自分を理解してくれる誰かがいればいい。そう思っている人も多いと思います。もちろん僕もそう思っています。

しかし、友達の定義だったり、親密度のラインは人それぞれだと思うんですが、どこかでやはり、友達が多い人に憧れがあります。

たった一人自分を理解してくれる誰かがいればいい。なんて言うのは友達が少ないことに対しての言い訳であって、友達なんて沢山いるに越したことはないんです。
友達は多い方が楽しいし、困った時に誰かが助けてくれるし、何より自分を好いてくれている人が多いということです。1人いれば良いなんて言うことで自分の中で諦めているのかもしれませんね。

でも、友達が多過ぎると浅く広い関係だとか、八方美人だとか思われることもあると思いますし、出会いなんて運みたいなところもあるので一概に良いとか悪いとか言うのは難しいです。

もし、今僕が死んだら。

例えば、今自分が死んだら、どれだけの人がお葬式に来てくれるでしょうか。どれだけの人が悲しんでくれるでしょうか。

人間の価値なんて、今から上げることも下げることも自分の努力や運次第でどうにでもなります。しかし、亡くなった後に評価された偉人などの特殊なケースを除いて、僕は、人は亡くなった時点で価値が決まると思うんです。そしてそれは残された人それぞれの中で決まると思っています。

悲しんでくれる人の数=友達の数とできるかどうかは微妙なところですが、そう考えるのならば当初の深瀬の考えは正しいと言えますね。

僕が亡くなったときに、あいつ良いやつだったよなってみんなが集まってくれるような人でありたいです。

今もし、そういう人がいてくれているのならば、その人たちを大事にしましょう。もちろん僕も大事にします。無理に増やそうとするとかなり大変ですし、そういう人は狙って作るようなものではないので、今いる大切な人のことを大事にします。本当に気の合う人、素をを出せる人、ずっと仲良くしたい人、好きな人。自分の死について考えてみたら、この人たちが、離れて行ったり、悲しんだりすることは絶対にしてはいけないなと思いました。

最後に。

なんか自分で書いていても、まとまっているのか、ちゃんと読んでいる方に伝わるかどうか分からなくなってしまいました。笑

なんとなく感覚的に考えていたことを言語化するのはとても難しいです。

でも、こんな感じでふと考えたことを記事に書いてみるのも悪くないと思いました。これからこういった記事もちょいちょい出して行こうかな。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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