「あのさぁ」

割引あり

「天城さんだったら絶対わかってくれると思って」
そう言いながら笑う彼を見ながら僕は目を細める。 煙草の煙が目に染みたふりをしながら、なんとか僕も笑顔を作る。
楽しくなくても笑える様になったのはいつからだったか、いや、楽しくないわけでもないのだけれど、どこか乾いたような、ざらついたような心を撫でながら、グラ スを口元に運んで唇を濡らす。
飲んだところで何も得られないと思いながら飲む酒 は、美味いとも楽しいとも思えない。
新宿の小さなバーだった。
不定期で彼が立つときにだけ訪れるそこは、居心地がいいとは言い切れない、と考えかけて、居心地のいい場所なんてものが自分にはないことに気づくほどに は、僕は冷静だった。
何をしていても頭の芯が冷えている感覚。
これは僕の病気なのかもしれない。
そもそも人の気持ちに鈍い癖に万人に人当たりよく振る舞いたいという矛盾した行動理念が枷となって誰とも距離が詰められない人間にとって
バーのカウンターは酷く便利な距離で
ましてや金を払っているという大義名分と
仕事をしているという大義名分がきちんと成り立っているのでわかりやすい。
役割がきちんと与えられている状態は、有り体に言って楽だ。だから、居心地が悪かろうが居ることができる。
もっと言えば、彼がバーテンダーに向いているか、というとそこも懐疑的にならざ るを得ない。
話を聞いて、膨らませて、盛り上げて、みたいな作業を器用に熟すには、彼はいささか、素直すぎるように僕には思えた。
興味のない話題になると途端に煙草に火をつけるし、何かの作業をしながら生返事を返すこともザラだし、もっと言えば僕からしたら嫌いな客への対応がわかり易すぎる。
いや、それを楽しんでいる可能性を否定できなが。 自分がその会話に必要ないな、といったときに見せる彼の引き際の素早さと言ったら武田信玄が褒美を取らせるくらいの速さだろう。
まぁ、会話の邪魔をするわけでもないし、そんな事を盛り上がっている人物に悟らせない程度には器用なのだろうが。
そんな時に不意に目が合うと決まっていたずらを見つかった子供のように、少し目を細めて僕に笑いかける。
その顔に戸惑ったり、つられて笑っていると、気づけばまた営業用の顔に戻ってグラスを磨いていたりする。
この男はそんな男だ。
客商売に向いているとは、お世辞にも言えないと僕は思う。
そんな彼が自分と似ていると言われる時があった。
彼自身ですら偶に冗談めかして言うことがあった。
そんなとき僕は否定も肯定も出来なかった。
そこをムキになって否定するのも
調子に乗って肯定するのも違うと本能的にわかっていたからだ。
必要なのは僕たちの関係性ではなく、観察者が想像する関係性であって、みたいなことを説明する必要もなく、似ていようが似ていまいが僕たちが別のものなのはみんなわかっていることだし楽しんでいる人に水を差すのを避けるのはもしかして似ているのかもしれないし。
と言いつつ、僕は彼に劣等感しか抱いていないも、純然たる事実だった。
例えば彼の外見であったりだとか、それを資本にした人間関係の運用だとか、 キャラクターだとか、もっと単純な人間性の事であったりだとか。
僻み妬みと言われればそれまでの事、彼の中身を覗けないからこそ言える世迷い言なのかもしれないが、それだとしても。
「ありがとうございました、またどうぞ」
そう言って客を見送った彼の言葉で、なんだかぼんやり考えていた事が霧消した。
カウンターに僕しかいなくなると、彼はまた煙草に火をつけた。
その所作すら何処か映画の1カットの様で、絵になってしまうというのはこういうことなんだろうな、と僕はため息を付いてしまう。
グラスの中身は少しも減らず、それなのに僕は頭の重さを感じて、首を振る。
疲れているのかもしれない。
余計なことばかり考えるのも、もしかしたら、そのせいなのかもしれない。
「あ、そういえば天城さん」
「ん?」
「終電って大丈夫なんですか?」
「え」
余計なことばかり考えて、必要なことを考えられなくなる自分が本当に嫌いだ。

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