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初めて濡れ衣を着せられた日の話

この話は、誰にもした事が無いと思うけど、いつかは何かに記したいと思っていた話だ。


私がまだ高校生の頃。
私の高校は英語科でそこそこ有名な私立の高校だった。
英語科には、英語科代表の様なポジションである、授業に厳しくて有名なN先生がいた。


どれくらい厳しいかと言うと、例えば、
生徒は指されると、教科書を一文ずつ翻訳していく。

その翻訳を間違えると椅子をズラして床に正座させられる。
今でなら、体罰で訴えられそうな授業だった。

授業中、どんどん間違えて生徒が正座していくと、残り見えている生徒は2.3人と先生だけとかになって、中々に不思議な光景だったのを覚えている。

私はその頃、図書館で2週間で10冊くらい本を借りては読んでいた変人で、
国語と英語の教科書は、もらったその日に全部読んでいた。

教科書に載っている話は、結構面白くて、なんとなく全部読んでしまうのだ。
本当に本が好きだったのだと思う。

英語も教科書丸々読んだ時に、単語を全部調べてあったので、
翻訳も間違える事はなく、その風変わりな授業も嫌いでは無かった。
何より、スリルが凄くて、眠いと思う事が無いのは良いな、と思っていた。
優等生の方だったと思う。

そんなある日。
英単語のテストがあった。

その定期的にある単語のテストは、80点未満は追試で、受かるまで追試があるので、みんな割と必死に勉強していた。


その日、返ってきたテストは95点だった。
追試じゃなくて良かった〜と思いつつ、先生と答え合わせをしていて、アレ?と思った。

正解なのに二連続バツがついているのだ。

あの、厳しい先生にしては珍しいなぁと思った。
本当は97点。
でも、95から97になっても、どうでも良い様な事だったので、面倒だから迷ったけど、
でも合ってるものは合ってるしなぁ・・
と、先生の質問の時間にテストを持っていった。

「先生、合ってる所、二つ続けてバツになっています」
普通にテストを差し出した。
すると先生はチラッとテストを見てからこう言った。

「俺がそんなに付け間違える訳ないだろう」

最初、冗談で言ってるのかと思って、「え?」と言って首をかしげて先生を見たら、ニコリともしない無表情な顔で、また続けて言った。

「俺が付け間違える訳がない」

その瞬間に、先生は、私が書き換えてテストを持ってきたのだろう、と暗に言っているのだと気付き、
ビックリした。

どのくらいビックリしたかと言うと、鼻血を出した。

ツーっとつたってきた何かが鼻血だと気付いて、二度ビックリした。

えっ大丈夫!?
保健室行きな!!
と友達が騒いでいた記憶が遠くにうっすらとあるが、そこから先を全然覚えていない。


私は、何かあっても全く親に言わないタイプの子供だった。

でも、部屋に戻って、1人になって。
気がつくとポロポロ泣いていた。
悔しかったのだ。
生まれて初めての濡れ衣だった。

濡れ衣とは、こんなに悔しいものなんだな、と初めて知った。
夕飯の時、私が泣き腫らした顔だったので、母親はビックリして、絶対何かあったんだろう!と問い詰めてきた。

私は言いたくも無かったけど、ポツリポツリとその日あった話をした。
言ってる最中も、ポロポロと涙がこぼれた。

母親は心配して、私が部屋に戻ったのを見計らって学校に電話したらしい。
私はその事を全然知らなかった。


次の日、行きたくない、と初めて思ったけど、私は負けず嫌いだったので、学校に向かった。
だって悪い事は何一つしていない。
でも先生やクラスメイトはきっとみんな、書き換えたと思っているのだろう。


その当時の私には学校と家が全ての世界で、小さな水槽で暮らす魚だった。

その水槽の水は、今とても汚れていて、暗雲が立ち込めている様な汚い藻だらけなのだ。
イジメで自殺してしまう子供がいるのは分かる。
ニュースを見るたびに心が痛む。その狭い世界しか見えてないと、その世界が汚れてしまうという事は、本当に息が苦しくて、辛い事なんだ。

でも負けなかったし、負けなくて良かったと思う。

そのあとアメリカに行き、世界のあちこちを旅して、素敵な恋愛も幾つかして、
何か道を間違えて、麻雀プロになるなんて、そこそこ楽しい人生送れるよ!って、
誰が想像しただろう。

その時の私に教えてあげたいくらいだ。

とにかく鉛のように重い足を引きずって、無心で学校に向かった。入学してから初めての嫌な気持ちを抱えて。

N先生は、私の顔を見て一言言った。

「おっ、目が腫れてるぞ。失恋でもしたか?」

私は真っ直ぐ先生の顔を見て言った。

「そんな所です」


その朝、先生が職員会議にかけられ、怒られたらしいのだが、私は何も知らなかった。
先生なりの、それに対する嫌味だったのだろう。
でも、先生は、それから、間違えて、バツしてます、と生徒が言っても何も言わずに間違いを認める様になった。私がその後、迷いながらも、懲りずに2度ほど言ったときも、おう、悪かったな!と言った。

なんだかんだ、私の事件があって良かったのかもしれない。

私は高校生活を無事に終え、アメリカに渡ってアメリカの大学に入学し、その後高校の事を思い出すことはなかった。

数年後、同級生と会う機会があった時に、N先生は、その後、違う学校で働く事になり、そしてそこで、体罰で解雇になったと、聞いた。生徒を殴って鼓膜を破いたと。

あの先生なら驚く事では無かった。
でもN先生の話で、ずっと覚えている言葉がある。

「みんな、用務員さんにちゃんと挨拶しているか?

人間と思っているなら、できる事だ。
出来ない奴らは、物だと思っているんだ。
ただ、そこにある、物だと」


この言葉だけは凄く好きだった。
だから、私は今でも店に来る業者さんにも、誰にでも、優しく挨拶して接する事が出来るのかもしれない。
でも、その言葉は好きだったけど、N先生は今でも嫌いだ!

でもそのあと、大人になって理不尽な濡れ衣を着せられてもいつも思うのだ。
あの時よりは、大丈夫、耐えられる、と。


そう思えるのは、あの先生のおかげなのだ。




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