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渥美清〜寅次郎になれなかった男〜

撮影の合間、「商売道具」のトランクに腰掛けて俯く。
身体が怠い。頭が重い。カットがかかった瞬間、生気が抜けたようによろつく。
27年か。
思わず漏れかけたため息を飲み込む。
メイクをしたら、目の下の隈も、シミの増えた乾いた肌も消える。カメラマンがいいように映してくれる。
「あの男」の仕草や声は身に染み付いてる。
カチンコの音が響けば癌に侵された身といえ、とちることはない。
早々、半身のようなものだ。
振り返れば背中に渥美清、いや、田所康雄※とは正反対の生き方をする男が張り付いている。影法師のように。いや、もはや、この自分の方が影法師なのかもしれない。車寅次郎、国民的な人気を誇る、その男の。
※田所康雄 渥美清の本名

「男はつらいよ」シリーズ48作目の舞台は奄美だ。

南国の日差しが病で疲弊した体には辛い。弛んだ首筋が焼けて痛い。しかしそれは他の演者もスタッフも同じこと。自分1人、わがままは言えない。じっと我慢する。最近じゃ汗も出にくくなったが、こめかみからススッと汗が垂れた。それが時折り吹く風に冷やされ心地良い。思えば、若い頃はいつも汗だくで走り回っては、行き場もなくどん詰まりの肥溜めみたようなところで、寝転がっていたっけ。終戦間もない、上野・浅草界隈で。
ふと、頭上が翳り、スタッフが差し出した日傘に気づく。
「悪いね。兄ちゃんも暑いだろ?どうだ、そのTシャツと俺の背広を交換するかい」
清の冗談にスタッフが軽く笑い声をあげる。
愛想笑いでもありがたい。今日はこんな無駄口も叩ける。調子がいい。あと、何カットだろう。この平穏な波が崩れぬうちに、終わらしたい。この頃、清の体調は不安定だった。いや、悪いことの方が多かった。
主治医からは既に前作から、「男はつらいよ」の撮影は無理だと言われていた。
では何故続けるか。
清は軽く頭を振って考えるのをやめた。
考え出せば、語り出せば、それこそ啖呵売どころではない。
長い話になる。
聞いてくれるだろうか、いや、語れるだろうか。

「いいかい、お集まりのお兄さんお姉さん、もののはじまりが一ならば、国のはじまりが大和の国、島のはじまりが淡路島、泥棒のはじまりが石川五右衛門なら男はつらいよのはじまりは浅草アメ横闇市ときたもんだ」

清の脳裏に、あの雑踏が蘇った。


1946年、7月。
戦後の焼け跡にバラックが並び、自然発生した上野の闇市には、満州からの引揚者、強制連行で連れて来られた朝鮮人、ヤクザ、掏摸(すり)、人殺し、およそ胡乱と思われる人種なら何でも揃っていた。

酔っ払いがションベンをし、露天商が声を張り上げ、ヤクザが場代を巻き上げ、朝鮮人が金切り声で喧嘩をし、娼婦が薄暗い路地の入口で手招きをしていた。そうした大人達の足の間を文字通り、飢えた鬼の如く、腹を空かせた子供達が走り抜けていた。田所康雄もそんな「餓鬼」の1人だった。

国鉄の高架下の空き地に陣取ったテキ屋の男が売り物の芋飴※を前にして、口上を始める。
※芋飴 芋を煮詰めて甘くしたもの。当時甘いものがよく売れた
「さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、ここに並べた芋、ただの芋と思ってもらっちゃ困る。鹿児島は指宿の農家のおじちゃんおばちゃんが朝露に濡れ、夜風に吹かれ大切に育てた品種、ベニサツマだ」
ここで男は持っていたハリセンでパン!と踏み台に乗せた自分の膝を叩いた。
「本来なら1000、500はくだらない、それだけもらったって農家のおばちゃんのあかぎれの薬代にもならない。けど今日は俺も浅野内匠頭じゃないけど腹切ったつもりだ!300!200!ダメ?」
ここで男が辺りを見回すのが合図だ。
大人に混ざって男の口上を聞いていた康雄はサッと手を挙げた。
「お!坊主、豆腐みてぇな四角い面して一丁前に服着てこれから女と相引きか?憎たらしいがそうとあっちゃ仕方ない、1番甘いとこ2つだ、持ってけ泥棒」
パンッと男がまたハリセンを叩いて他の客を見回す。見物客の男が言う。
「どっかの畑から盗んできたような芋が500だと?ふっかけるのはサッカリン※だけにしやがれ。向こうの露店じゃ半値だったぜ、それでもまだ高い」
※サッカリン 当時出回っていた人工甘味料
男が客をギロリと見て言う。
「人の売(ばい)にアヤつけようってのか。素人さんがあんま出張んじゃねぇぜ。500が半値なところでビタイチ出す気もねぇ貧乏人がとっとと失せやがれ」
ドスの効いた声に周囲の客が怯んだような表情を見せる
男は取りなすような猫撫で声で言う。
「おっと、驚かせちまったか。どうだい、おばちゃん、特別にまかって100でいい。たまには旦那に甘いもん食わせてやんなよ」
芋を差し出された女性が首を振って後ずさる。
「何だ、要らない?そうか、帰れババア」
あちゃ。こりゃダメだ。康雄は内心、頭を抱えて天を仰ぐ。この分じゃ今回も取り分はなさそうだ。

さっきまで足を乗せて啖呵を切っていた台に腰掛け、男は進駐軍横流しの「のぞみ」※を吹かしている。客前で見せていた饒舌な雰囲気はどこにもない。
※たばこの銘柄
「で、鉄はどうなったよ?」
男が傍らに立っていた康雄に聞く。
「今、仲間を集めてる。変電所の方はあんまり行ったことがないから」
「裏手のクズ山だ。夜になればサツも来ねぇ。さっさとやれ。そうそう待てねぇぞ」
「それだけど、先に金を貰えないかな。全部とは言わない。半分だっていい」
康雄は男からクズ鉄の調達を頼まれていた。それを使い、秋葉原で集めた部品で鉱石ラジオを組み立てて売るというのだ。
男はゆっくり煙を吐き出すと、目を細めてしばらく黙っていたが、康雄の方を見ずに火のついた煙草を投げつけた。
「燃やすぞ餓鬼が。お前らの1匹2匹、灰になったところでこの人混みにばら撒きゃなかったも同じだ」
康雄は顔を掠めた煙草の熱さに耐えながら、しばらく男を見つめていた。やがて男は馴染みの娼婦と話し出した。
「餓鬼が下手な芝居打ちやがって商売あがったりだ」
「そう。あんまりいじめちゃ可哀想じゃない。わたしが可愛がってあげようかしら」
「やめとけやめとけ、皮も剥けてねー餓鬼、しゃぶったところで酸っぱいだけだ」
どん!と康雄は男に後ろから体当たりした。つんのめった男が女にぶつかり、女がよろける。その隙に飴芋の入った麻袋を抱えて康雄は雑踏へ飛び出した。
「ぶち殺すぞ!クソがきゃあ!」
後ろから怒号が飛ぶ。大人達の足の隙間を縫い、路地を走り抜け、根城にしていた上野駅の地下道へ潜り込んだ。
そこでようやく麻袋の中の芋を数えた。仲間に分けてやろう。カヨもきっと喜ぶ。なんせ3日も食べてないのだ。


今回の48作の撮影にはNHKの取材班が同行していた。
今までそうした申し出は断ってきた。
役者の本分は芝居であり、表に出るのは演者としての顔でいい。役者がてめぇの素を切り売りするなんて野暮の骨頂、そう思ってきたからだが、渡世人よろしく肩に引っ掛けた背広が重い、長台詞に口が回らない。いつまで演じられる?皆の愛すべき「寅」でいられる?今のうちに影法師の本音を話しておいてもいいかもしれない。そう思ったからだ。
NHKの取材は撮影の合間に行われた。
「子供時代はどんな子だったのですか?」
俯いていた顔を上げ、20代中頃に見えるディレクターの顔を清はしばし見つめた。
「碌でもない餓鬼でね」
短く答える。
「渥美さんが10代の頃は戦後間もない頃ですよね?寅さんの真骨頂、啖呵売はその頃、上野にいたテキ屋を見て覚えたとか?」
「そうね、あの頃の上野には色んな人がいたからね」
「役者になるきっかけは何だったのですか?」
「そいつはちっと言いにくいかな」
清はニカっと笑った。


戦後1年が過ぎても、ならず者の跋扈する無法地帯となっている上野の闇市を警察は目の敵にしていた。GHQからも民主化を妨げる存在として、排除、整理することが求められていた。
そこで1946年8月1日、大規模な摘発が行われた。
それはのちに「8.1粛清」と呼ばれる強引なものだった。
無許可の露店へ一斉に警察が踏み込み、問答無用で店主を連行した。地下道もその対象で、戦争孤児や、康雄のように上野界隈で小銭を稼いでいる子供達も補導された。

8月1日の早朝、地下道で段ボールにくるまっていた康雄は獣くさいような、革の匂いで目が覚めた。ネズミの死体と残飯と下水の匂いには慣れて鼻が麻痺している。しかしこの匂いは嗅いだことがない。身体が警告していた。

カツーンと微かに地下道に乾いた音が響いた。
革靴だ。康雄は仲間を起こした。
「警察が来る!反対側の出口から逃げろ!」
耳元で小声で囁く。眠気まなこの仲間のシャツの襟首を掴んで揺すって無理やり起こす。
カンカンという足音が近づいてくる。
1番幼いカヨを康雄は起こした。
「カヨ!警察だ!みんなと一緒に逃げろ!」
目を擦り、康雄だとわかると、カヨはニコッと笑って抱きついてきた。胸元に柔らかな髪をぐりぐり押しつけると、やがて安心したのか、ガクリと首が垂れた。
「おい!寝るな!みんなと行くんだ。俺もあとから行く」
康雄はカヨの頬を軽く叩いて起こした。途端、カヨがグズって泣き出す。本当は、ここでひと暴れして、少しでも警察を引き留めるつもりだった。しかしこうなっては仕方ない。カヨをおぶって立ち上がろうとした時、頭上から声がした。
「動くな」
康雄はしゃがんだまま動きを止めた。警官が、カヨの首筋を掴むと康雄の背中から引き剥がした。
「汚ねぇガキだ。肥溜めにでも突っ込むか」
周りの警官が笑い、1人が言う。
「でも女だ。洗ってどっかの店に預けりゃ金になる。この歳じゃロリコンのアメ公も流石にまだ突っ込んでねーだろ」
キャハハと笑い声があがる。
(こいつらは、警察なんかじゃない。制服を着てるだけで中身はヤクザと変わらない)。
掴まれて宙に吊られたカヨがわーん!と泣き声をあげる。
「カヨを離せ!」
腕に飛びかかろうとした康雄の腹を、革靴の先がえぐった。うずくまった康雄の横顔をもう一度蹴り付け、警官は髪を掴んで康雄の顔を上げた。
「何か言ったか?聞こえねぇよ。このメスガキはお前の女か?貰っといてやる」
俯いたまま、ペッと唾を吐いたら、血と一緒に砕けた歯が転がった。

取調べにあたった年配の警官は、現場の男達よりは話がわかるようだった。
しかし、仲間のことも、繋がりがあったテキ屋のことも黙っていた。
「部下が手荒な真似をしたようだったな。ま、許せ。ところで、黙ってるのはいいが、出られんぞ」
「何も知らん!」
何度目かになる同じ言葉を康雄は繰り返した。
「そうか。そうそう、ところでお前が心配してたカヨとかいう子だが、ここを出たぞ」
顔を上げた康雄を見て警官が笑う。
「気になるか。心配するな、施設に行くだけだ」
施設か…もう2度とカヨと会うことはないだろう。
けれど、あの地下道にいるよりマシだ。施設なら3食まともに食わせてもらえるだろう。
これで良かったのだ。
「お前もいつまでもここにいるわけにもいかんだろ?出たって悪事は続かんぞ。なんせお前の顔は目立ち過ぎる。いっそ役者にでもなるか?」
警官はそう言って笑った。


無人駅での撮影の合間、駅舎のベンチに座りながらインタビューを受けた。
「浅草のストリップ劇場が役者デビューの舞台ですか?」
「役者なんてそんな洒落たもんじゃないよ。幕間に客を笑わす芸人でね。あの頃は随分そういうのがいたんだ。食えなくてねぇ…」
「早坂暁※さんと出会ったのもその頃ですか?」
※脚本家。渥美清主演映画の脚本も手がけた
「そうね、浅草の銭湯でね。思えば長い付き合いだよ」
そう言って、清はスッと目を細めた。
ホームから差し込む日差しが駅舎の屋根で折れ、足元に斜めの影を引いている。
そういえば、あの日もこんな影が駅舎に差していたっけ。


1946年、18歳の時に清は大宮市日活館の下働きの職を得た。そこでチョイ役で舞台に出るようになり、23歳の時に浅草六区のストリップ劇場「百万弗劇場」に専属コメディアンとして雇われた。
専属コメディアンといっても、ストリップショーの合間を笑いで繋ぐ芸人で、客は彼らを観に来ている訳じゃない。
下手なコントをやろうものならすぐさま怒号が飛んだ。
「おいこら、この高ぇ入場代にはてめぇの豆腐ヅラ拝む分も入ってんのか、その分きっちり揃えて返しやがれ!」
タキシードを来て、コントをやっていた清のこめかみがひきつる。瞬間、セリフが飛ぶ。相方が気にするな続けろと目配せしている。
消えた台詞の代わりに清の身体の臍のあたりから湧き上がってくる熱がある。それは龍のようにうねりながら喉元まで来た時にはこんな長台詞になっていた。
清はタキシードを脱ぎ捨て、舞台の床に叩きつけた。
パサっと軽い音がする。こんな音じゃ調子が出ないがしょうがない。ここまで来て引けるか。行けるか、言ってやれ。
「そうかよ、こうなりゃやけのやんぱち日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないときやがった!」
散々聞いてきた。リズムと韻は身体に染み込んでいる。
上野の闇市に良い思い出などない。忘れたはずの啖呵売。
罵られてバカヤローと怒鳴ればがそこから先は手が出るしかない。だったら粋に軽妙に言葉でやり返す。
殴りはしねぇがてめぇは気にいらねぇぜの意思表示、言葉の散弾。
後ろから組みついて止めようとする相方を乱暴に振り払う。滑って尻餅をついた相方を見て客が笑う。まだ、コントの一幕だと思っているのだ。
「四角四面の豆腐ヅラ。伊達に舞台に上がっちゃない。上野浅草百万弗。チャラチャラ流れるお茶の水。粋な姐ちゃん立ちションベン。飲んで喜ぶスケベジジイ。そんなにこの面が気に入らねぇならとっとと帰りやがれ!」
流れるような清の長広舌に客がドッと湧く。
しかし言われた客はたまらない。耳まで赤くして、言葉にならない怒声をあげると、周りの客を押し退け、舞台に上がってこようとする。
「女便所と間違えたか、この色情ジジイ。てめぇが上がって良い場所じゃねぇんだ」
男の肩を足で蹴り付けたところで袖から支配人が飛び出してきて、清は強制退場させられた。

鏡台にむかって白粉をはたきながら、滝姐(たきねぇ)が笑う。

「でもわたしはアンタのアレ、面白かったけどな。どこで覚えたのよ、あんな啖呵」
清は滝の楽屋で正座で俯いてる。
「いやぁ、言うのも恥ずかしいもんで…姐さん達の舞台を台無しにしちまってすんませんでした」
清は頭を下げた。
「もういいよ。この仕事はね、客と喧嘩するのも仕事の内さ。まぁアンタのはちょっと、やり過ぎだけどね」
滝は舞台衣装のドレスの胸元からお札を何枚か取り出すと、ポイっと投げた。まぁパーっとやってお忘れよ。そんで明日も盛り上げておくれ。
床に散らばった札を集めて数えて清は言う。
「いや、ちょっと、こんなには貰えんですよ」
「一丁前に遠慮してんじゃないよ。気が引けるっていうなら、いつかいい子が見つかったらあんたもそんな風に奢ってやんな」
清は札を両手で握ってじっとしていた。客の投げ銭なら、コントを中断してでもポケットに突っ込むのに、しまうことができなかった。数えればわかる。この金額を稼ぐのに滝が何度、客前で裸になる必要があるかを。
「なにボサッとしてんのさ。そんなもんいつまで抜き身で出しとく気だよ。さっさとしまっちまいな」
清はもう一度頭を下げ、札を揃えて折ると、そっとポケットに滑らせた。それを見て滝が微笑む。
「あんたに懐具合を心配されるほど落ちちゃないよ。最近、金持ちの良い男を見つけたんだ。だからあんたがお金の心配をすることなんてないんだよ」

清は舞台化粧もそのままに、劇場近くの路地にある銭湯に向かった。途中で舞台を降ろされたせいでまだ陽は傾きかけたばかりだ。風呂も空いてるだろう。ゆっくり浸かって今日の垢を落としたら、姐さんからもらった金で一杯やろう。そう思うと、先程の客の罵声も遠のき、心が軽くなった。何より気兼ねなく使える金だとわかったことがいい。
姐さんも今まで苦労したが、良い男が見つかったみたいで良かった。右も左もわからん劇場に入りたての頃、先輩芸人からは新人しごきという名の新人潰しで随分酷い目にあった。衣装や化粧道具を隠されるのは当たり前。先輩の舞台に出て、ちょっとセリフをとちれば殴られる。アドリブに応じなければ愚鈍と殴られ、良かれと思ってアドリブを利かせて笑いを取れば、てめぇが目立つなと殴られた。
踊り子達はそんな清を冷ややかに見るだけだったが、この劇場に古くからいる滝姐さんだけは違った。
「あんた、筋が良いよ」
「男が簡単に泣くんじゃないよ」
「これで美味いもんでも食いな」
と、何くれとなく目を掛けてくれた。
風来坊で喧嘩っ早いバカな自分がここまでやってこれたのも姐さんのおかげだ。その姐さんに男運が巡ってきたなら自分も嬉しい。姐さんには幸せになってもらわなきゃ困る。そうでなきゃ間尺に合わない。
そんなことを思いながら男湯の引き戸をガラリと開けると、先客がいた。
学生風のやせ気味の男だ。
「よぉ兄ちゃん、一番風呂たぁ、気持ちがいいねぃ。どっかの店で一発抜いてきたあとかよ、おっと風呂は風呂でもそっちの風呂じゃねぇか」
清は手ぬぐいをパンと打ち、ほんの挨拶のつもりで軽口を叩いた。しかし男は清から背を向けるようにササっと奥の洗い場へ移った。
ふーん。猫背で背骨が浮き出た、その背中を眺めて清は呟く。そして、声のトーンを落として男に尋ねた。
「何だい兄ちゃん、逃げてんのか?」
男が驚いたようにこちらを見た。どこか不穏な空気を醸してはいるが、前髪のかかった目元にはまだ幼さが残る。
東大の例を出すまでもなく、この時代、過激な学生運動が盛んだった。中には警察に目をつけられるような若者もいた。何も応えぬ男を気にせず、清は化粧を落とし、掛け湯をするとザブリと湯船に浸かった。ふーっと思わず息がもれる。
「まぁ色々あるわな。俺は学がねぇから、難しいことはわからねぇ。けどな、人間、素っ裸になりゃ、兄ちゃんのご立派な思想と、俺の股ぐらのご立派なイチモツ、どっちも同価値ってことよ」
そう言って清は1人笑った。
そんな清に男は探るように声を掛けてきた。
「アンタ…オカマか?」
その言葉に清は目を見開いた。
「馬鹿野郎、こんな角ばった面の女がいるもんか。もしいたら夢見が悪くて仕方がねぇ…って、おい!てめぇ、なんてこと言わせるんだ、さっきのは舞台化粧よ」
その言葉に男はホッとしたように表情を崩し、拝むように片手をあげると、清に頭を下げた。
「なんだ、そうか。悪かった。オカマに絡まれるのも気味が悪いと思って避けちまった」
「はっ。そりゃお前、偏見だぜ。オカマにだって気前の良いのがいるし、男の中にも女の腐ったみたいのがいるだろ」
清の言葉に男が頷く。
「兄ちゃん、名前は?俺はな、渥美清だ。俺が尊敬してる姐さんがつけてくれた芸名さ」
「早坂暁だ」
男は名乗ると湯船の中、清の横へ腰を下ろした。
「おい、よせやい、もちっと離れろ。何が悲しくて、こんな広い湯船で男2人、並んで座らなきゃなんねーんだ」
しかし早坂は清の言葉を意に介すことなく、寛いでる。
「ちっ。仕方ねぇ。アンタ学生か?」
「あぁ、でも学校には行ってない。脚本、書いてんだ。渥美さん、アンタんとこの劇場で書かせてもらえんかな?」
清は手ぬぐいを額に乗せてしばし上を向いて考えて言った。
「さぁどうかな。どっちにしろ、はいどうぞって訳にはいかねぇよ」
「テストか?」
「テストだぁ?横文字を使うんじゃないよ、インテリが。こういうことはだいたい酒を飲めばわかるんだ」
清はザッと立ち上がった。
眼前にイチモツを晒され、呆気に取られている早坂に清は言った。
「先(さき)出てるぜ。早くしな」
金がないと言う早坂に、引き戸を開けながら言った。
「お前が金の心配することないんだよ」
さっき、滝姐から言われた台詞だった。
清は上機嫌で風呂を出た。

飲み屋でビールと日本酒を浴びるほど飲み、早坂と別れたのは明け方だった。清と早坂は、すっかり、意気投合していた。
下宿で仮眠を取って昼過ぎ、ふらつく足取りで、劇場に向かった。出番は夕方からだが、姐さんはもう来てるだろう。面白い男がいると、知らせてやろう。
しかし、楽屋に滝はいなかった。
支配人に尋ねると、知らなかったのか、お前、と怪訝な顔をされた。ひとしきり喋ると支配人は「仲良さそうだったのに、案外お前も、信頼されてなかったんだな」と薄く笑った。カッと頭に血が上った。怒りだけじゃない、木枯らしのような旋風が心を吹き荒れていた。支配人を突き飛ばすと表へ走り出した。途中で雪駄が脱げたが、構わない。走りながらポケットを探ると、姐さんからもらった札が1枚残っていた。それを引っ張り出して花屋に飛び込み、また走った。二日酔いでふらつき、もう倒れるかという頃、ようやく駅舎が見えてきた。

駅舎のベンチに座る滝は見知らぬ女のようだった。いつもの肌が透けるような衣装姿とは違い、化粧もせず黒のシャツに履き古したサブリナパンツ姿だった。旅行鞄に落とされた視線は不安げで、どこか少女のようにさえ見えた。
駅舎の外からその姿を認めて、清は立ちすくんだ。何て声を掛けようか一瞬迷ってから、ええい、ままよと声を張り上げた。
「何だい、姐さん、仕事サボって旅行かい?俺も一緒に行きてぇや」
空元気の高い声が秋の空に響いた。
こちらを振り向いた滝は驚いた表情を浮かべたが、すぐにニヤリと笑うと、いつもの少しはすっぱな調子で言い返した。
「年増の女が故郷に連れて帰る相手役じゃ流石に、役不足だろ?」
「そんなことない。光栄だ」
姐さんの顔を見れない。そっぽを向いたまま、清は声だけ張り上げる。
「ありがとね。見送りに来てくれたんかい?アンタには言わずに行こうと思ってたんだが、支配人のお喋りにも困ったもんだ」
滝はフッと笑った。
「何でだよ」
意を決して、清は滝を見た。何だか、滝を正面から見るのは、滝とこうして向き合えるのは、これが最後な気がした。
「何で、嘘ついた?水臭えじゃねぇか。なけなしの金、貰って飲んだって美味かねぇや」
正面切って言い切るつもりが、最後は俯いて、悔しくて、地面に吐き捨てるようになった。
「悪かったね」
滝は静かな声で言った。
「でもアレはどうせ私が持ってたって仕方ない金だったのさ。あの男に押し付けられた借金は、あんなもんじゃどうしようもないしね」
悔しくて、声が出なかった。おかしいじゃないか、何で滝姐がこんな目に遭う?
「いいんだよ。踊り子稼業は食うか食われるかだ。上手く食われて捨てられたわたしが悪い」
「ちきしょうめ。どこのどいつだ、行ってぶん殴ってやる」
「やめときな。アンタが行ってどうこうなる相手じゃない。それより何だい、その花束は」
「あ…」
清は右手に握りしめたミモザの花束を見つめた。
姐さんに貰った金で最後、何か餞別をと思って買ったもだが、考えてみれば場違いだった。祝いの門出じゃねぇんだ。全く、どこまで自分は抜けてやがる。歯噛みする思いだった。
滝は立ち上がると清に近づいた。髪をおろして、化粧をしてない滝は随分幼く見えた。思えば、自分と5歳しか変わらないのだ。滝はミモザに顔を近づけけて少し目を瞑った。
「故郷(いなか)にね、これとよく似た香りのする花があるのさ」
「何も帰ることはない。こっちで働けばいい」
清は下を向いたまま言った。困らせてるのはわかってた。でも納得できなかった。
「尖った目つきでさ、肩でも触れようもんなら相手構わず喧嘩吹っかけてたアンタが、女に花、贈れるような男になったのがわたしは嬉しいよ、ありがとね」
滝が花束を受け取ろうと手を差し出した。しかし清は、渡さなかった。渡したら、行ってしまう。滝姐のいない百万弗劇場に何の意味がある。
遠くで、警笛が鳴った。もうすぐ、汽車が来る。
初めて滝は困ったような顔をして、清の頭にそっと触れると言った。
「達者でやんな、じゃあね」
暖かくて、強くて、少し冷たくて、その言葉の全部が滝姐で、肩が震えた。顔を上げた時には、滝は改札を抜けるところだった。何か言わなきゃ、そう思うのに、一言も出なかった。滝も、振り返らなかった。
汽車は見送らなかった。
劇場への帰り道、ミモザの花束をドブへ投げ捨てた。


二日酔いで宿の前の橋をよろつきながら寅さんが歩くシーン。2、3歩、よろめいて欄干にもたれて、振り返って手を振ったところでカットがかかった。どうやら、一発OKだったようだ。体調を気遣われてのことかもしれず、だとしたら不本意だが、一方で、ありがたいと思う気持ちがあるのが悔しい。
待機の椅子に腰掛けたところでNHKのスタッフから声を掛けられた。
「いや、うまいもんですね」
その声の響きが心から感心しているようで、まだ、ちゃんと寅を演じられている、周りから、この病に半身侵された男は寅に見えている、そう確かめられてホッとした。
軽く頷いた清に、スタッフが重ねて尋ねる。
「でもプライベートではお酒はやらないとか?」
「そうね、病気もしたしね。もう無理も効かないから。寅さんが羨ましいね」
そう言って笑ってみせたが、本音を言えば、寅次郎という男には愛憎相半ばなところがある。
彼と会えたから役者をしてこれた。
彼と会ったがゆえに、役者であれなかった。
どっちだろう?
きっとどっちも正解で、どっちも少しずつ間違っているんだろう。


1954年、26歳の時、清は百万弗劇場から同じ浅草の大きなハコ、フランス座に座長として迎えられた。

当時フランス座には長門勇、関敬六なども在籍しており、清も座長として彼らをまとめ、大きいに気を吐いた。踊り子が主役のストリップではあったが、幕間は自分達の舞台だ。おっぱい目当てに来たスケベじじぃ共を無理矢理にだって笑わせてやる。そのうち俺らの笑いが癖になる。
そうやって連日舞台に立ち続けたが、座長になって2年後、突然の体調不良が清を襲った。
ここぞと言う時に声が掠れる、胸が痛む。挙句、立っているのさえ辛くなってきた。たまらず病院に駆け込んで、下された診断は結核。
当時、結核は「死の病」だった。

埼玉のサナトリウムのベッドで、清はとめどなく降りしきる窓の外の雪を見ていた。自分はこの雪に埋もれる化石だと思った。昨日まで生きていた隣りのベッドの人間が、今朝には冷たく白くなっている。
何の因果か考えても仕方ない、所詮いつか人は死ぬのだ。しかしそれが今とは口惜しい。これじゃ戦争を生き抜いた甲斐がない。いや、戦時で亡くなった者の無念を思えばそれも贅沢か。戦争が終わって20年、面白おかしく過ごさせてもらった。まぁ…面白くないことも多かったが、しかし…ここまで考えて、清は咳き込んだ。
もし、ここを生きて出られるようなことがあったら、生まれ変わったつもりで生きよう。
結局、清は当時始まったばかりの肺の摘出手術を受け、九死に一生を得た。
しかし、ホッとしたのも束の間、今度は胃腸を患い、3ヶ月の入院を余儀なくされた。毎日、ベッドから天井を見あげるだけの生活の中で、清は酒も煙草も金輪際、断つことを決めた。
清が2つの大病を乗り越え娑婆に戻った時、頭上には「テレビ」という未知のビッグウェーブがやってきていた。ストリップ劇場で、タチの悪い酔客と喧嘩になり、客席に飛び込む時の要領で、清は「舞台」を蹴って、その波頭に乗っかった。そしてその波は、清を彼自身さえ想像していなかったほど遠くへ連れて行くことになった。


1956年、清は「すいれん夫人とバラ娘」で朝丘雪路の助手役としてテレビ初出演を果たした。
しかしそこから5年は鳴かず飛ばす。
ようやくチャンスが巡ってきたのは1961年、NHKで放映された『夢であいましょう』への出演だった。5年続いたこの番組で、渥美清の名前はお茶の間に知れ渡った。

その後もいい波は続いた。1962年には『あいつばかりが何故もてる』で映画初主演。この作品で、のちの『男はつらいよ』の主要メンバー、倍賞千恵子や森川信とも共演を果たした。
翌、1963年公開の映画、『拝啓天皇陛下様』は戦後復興に沸き、戦争を過去へ押し流そうとしていた日本社会にある種、冷水を浴びせかける作品だった。
この作品で、清はカタカナしか書けず、軍隊を天国と思い、戦争で死ぬなら最期は「天皇陛下万歳と言え!」と友軍を本気で叱り飛ばす奇特な男を悲哀とユーモア混じりに演じ、強い印象を残した。

ここでの演技がフジテレビ関係者の目に留まり、テレビドラマ「男はつらいよ」の構想が練られ始めた。


「男がつらいよ」は山田洋次監督との雑談から始まったようなものだ。清が監督と初めて会った時、戦後間もない頃、上野でよく見たテキ屋の話をしたのがきっかけだった。自分でも驚いたが、久しく口にしていなかった啖呵売はスッと口から出てきた。
山田洋次は初め、戦後、20年以上が経った「現代」では滅ぶしかない存在として、テキ屋の渡世人、寅次郎を生み出された。
それがまさか、俺の人生を食っちまうほど生きるとは。
ご苦労様なこった。
本当に、それはありがたさを超えて、ある意味では苦笑したくなることだった。
「『男はつらいよ』以外の作品に出ようという気持ちはなかったのですか?」
「それはね…」
清はここで言葉を切った。流石に長いインタビューは疲れる。伝えたい気持ちと言葉は喉まで出ているが、話すのが、声を出すのがしんどい。
「まぁ、色んな話もあったんだけどね、寅さんだけで精一杯だった。あんまり、器用じゃないんだろうね」
1つ自分で頷いて、話を終わらせた。
「御結婚されたのも、この頃ですか?」
清はそれにも頷くだけで応えた。
仕事とプライベートは切り離してきた。男はつらいよのメンバー、スタッフにも自宅の住所と連絡先は知らせていない。彼らは仕事仲間だ。彼らの前にいる時は寅次郎か渥美清でいたい。田所康雄を見せる気はない。
自分は、どこに行きたいのだろう。
どこに行きたい?いや、もう死にゆくだけの身か。
では、どこにいるのだろう?

1965年、ドキュメンタリー映画、『ブワナ・トシの歌』に出た時の、タンザニアの光景を思い出した。砂漠に白骨化したバッファローが横たわっており、空を指した角の先端に、夕陽がチリチリと燃えていた。
死にゆくだけの身がどこへゆく。
それもこれもこのインタビューさえも、無駄な足掻きか。
そうだろう。
自分が死ねば寅次郎も死ぬ、それで赦されるのか、解放されるのか、何から?いずれにせよ、終わる。

清はNHKのスタッフに断って、ロケ車に戻ると横になった。撮影の合間にサインを貰おうと待ち構えていた、島民達から不満げな声が上がる。
(知るか、もういいのだ。本来ならば、とっくにお役目御免の死に体がズルズル歩いているのだ。今更どう思われようと構わない。忘れ難いあの言葉も、許し難いあのことも、いずれ、冥土には持っていけまい。他人の評価も同じこと)


1969年、41歳の時、清は正子夫人と出雲大社で式を挙げた。披露宴にはごくごく限られた友人と関係者しか呼ばなかった。
その前年から始まったテレビドラマ『男はつらいよ』は堅調だった。回を重ねるごとに人気が増し、最終回、清演じる寅次郎がハブに噛まれて死ぬと、抗議の電話が殺到した。
そこで翌年、監督の山田洋次に言わせれば「罪滅ぼし」のつもりで撮った映画『男はつらいよ』が以後、27年続くシリーズの始まりだった。
映画『男はつらいよ』の人気は凄まじく、第8作では148万人を動員し、それ以降も200万人を超える動員数を連発し、松竹の屋台骨を支えるドル箱シリーズとなった。
だからか?
ふと思う。
そうだったからこそ、辞めることができなかったのだろうか。
いや、それも言い訳だろう。
実際、清は1977年の『八つ墓村』での金田一耕助役など、男はつらいよ以外の作品にも出ている。

しかし結局、寅次郎以上のハマり役に出会えることはなかったし、観客が清に求めるのも、寅次郎だった。


いい父親ではなかったなと思う。
手が出たこともある。
息子は自分を好きではないだろう。
だが、それでいい。父親を尊敬している息子など薄気味悪い。洋画の中だけで充分だ。
子供が出来た頃から、渋谷に部屋を借りた。
妻の正子には役に集中する為だと、もっともらしい理由を述べたが、1人になりたかっただけだ。それは正子も分かっていただろう。だが、何も言わなかった。言っても無駄と思っていたか、はたまた、いなくて清々すると感じていたか、それは知れないし、知る気もない。
実際は、勉強部屋と称したその部屋で何をやるわけでもなかった。古い映画を見返したり、若手の舞台のパンフレットを眺めたり、時には男はつらいよの脚本を読むこともあった。けれどそれは稀だ。たいていは、リクライニングのついたオフィスチェアに腰掛けて、ラジオで落語を聴くか、ただぼんやりしていた。
何もしたくない、それが田所康雄という男の本性にも思えた。ならば、トランク片手に腹巻きをし、全国行脚をしているあの男は何か。あの男も自分の一部なのか、それとも作られた虚像か。初めは確かにその境はあった。けれどだんだんそこは癒着してきて、今じゃケロイドのようになって剥がそうにも剥がれない。
ため息が漏れることもあった。
何がいけなかったわけでも、不満なわけでもなかったが、こんなはずじゃなかった気もした。

1985年頃、清は早坂に漂泊の俳人、尾崎放哉を演じたいと持ちかけたことがあった。放哉が結核で亡くなったことを知り、結核特有のあの咳を出せるのは、実際に結核になったことのある自分しかないとも思った。
清は早坂とロケハンをし、脚本が上がり、さぁこれから撮影というそのタイミングで、NHK松山放送局から放哉のドラマが放映された。最悪のタイミングだった。
早坂は急遽、脚本を同じく放浪の俳人、種田山頭火に書き換え、清に演じないかと打診した。一旦は引き受けた清だったが、クランクイン直前になって断った。
その時にはもう、癌に侵されており、男はつらいよ以外の作品に出る体力が残っていなかった。それが表向きの理由だ。
けれど本当のところは…ギィと椅子の背もたれに背中を預け、清は思い返してみた。
ただ、面倒だっただけではないのか。
ふと、そんな思いがよぎり、馬鹿な、と打ち消した。
身体が辛かったのだ。それに自分は毎年寅次郎を演じている。それがどんなに大変なことか。
「わかるか、え?こんちくしょう!」
1人の部屋に虚しく響いた声が壁に吸い込まれる瞬間、「甘ったれてんじゃないよ、てめぇが選んだ道じゃないか、今更泣き言いうなら、あの時のお金、耳揃えて返してもらおうか」そんな、懐かしい声が聞こえた気がした。
苦笑する。
病を得てから、過去は優しくなった。若い頃は過去は捨て置くもの、未来が気になったが、今は昔のあれやこれやをいちいち手に取ってはためつ、すがめつしている。

(さぁさぁ手に取って見て頂戴。こちら角は一流デパート赤木屋黒木屋白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)つけたお姉ちゃんに、下さい頂戴で願いますと、1万、2万がくだらない品物だが…)

今でも啖呵売は心の中では誦じられる。
寅さん、まだどっかでやってるのかい。
あくびが漏れた。
リクライニングを倒すと清は目を閉じた。
いつの間に降り出したか、微かに雨の音が聞こえた。


癌は1991年に見つかった。
肝臓癌だった。
ちょうどシリーズ43作目「男はつらいよ 寅次郎の告白」を撮っている頃だ。この頃から、スタッフや共演者への挨拶、見物客への対応を省かせてもらうようになった。
横柄な態度だと、随分批判もされたが、病気のことは黙っていた。横柄なのは事実なわけだし、言われるのは仕方ない、そう思った。
それから48作までのことはよく覚えていない。とにかく、1作1作、ワンシーン、ワンシーン、命懸けでこなしてきた。
最近では、寅さんのトレードマーク、腹巻きの中に抗がん剤の錠剤を忍ばせている。そんな渡世人があるものか、そうつっこむ自分もいるが、それこそもう、こうなったら「やけのやんぱち日焼けのなすび」だ。やり切るしかない。

とらやでの最後のシーンのカットがかかった時、清は傍らに置かれたトランクにそっと触れてから立ち上がった。
もう、ここへは戻るまい、戻れまい。


撮影の終わった清にNHKのスタッフが遠慮がちに声をかけてきた。
「お疲れのとのろすみませんが、最後にお話を少し聞かせてもらえますでしょうか?」
頷いて応じる。
「寅さんシリーズも48作、これだけ演じ続けるのも大変ですね」
笑って頷く。
「達成感のようなものはありますか?」
「さぁ…どうだろうね。皆さんが喜んでくれたら嬉しいけどね」
「渥美さんから見て、寅さんの魅力というのはどういうところでしょう?」
少し考えて、清は言った。

「寅さんが、手を振り過ぎていたのかな。愛想が良過ぎたのかな。スーパーマンの撮影のとき、見てた子どもが『飛べ、飛べ、早く飛べ!』って言ったっていうけど、スーパーマンはやっぱり、2本の足で地面に立ってちゃいけないんだよね。だから寅さんも黙ってちゃいけないんでしょ、24時間、手振ってなきゃ」

ここで少し笑うと、安心したようにスタッフにも笑いが起こる。そう、何もこれは、深刻に言うほどのことじゃない。わかってたことで、みんな知ってることだ。

「ね、ご苦労さんなこったね。飛べ、飛べ言われたってスーパーマン、飛べないもんね。針金で吊ってんだもんね」

清はそこで何度か頷いて言葉を切った。
スタッフも、それ以上は聞いてこなかった。

インタビューが終わり、清は迎えの車までゆっくり歩きだした。右手が、何だかスースーと、軽い気がした。
背中合わせの男に、あばよと別れを告げた(終)

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