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【1人の男と2人の女】与謝野鉄幹・晶子・山川登美子を巡る物語3/3(与謝野鉄幹篇)

山川登美子篇→与謝野晶子篇→鉄幹篇の順でお読み頂くと、内容が分かりやすくなっております。
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1922年、夏。
与謝野晶子へのインタビューから数ヶ月後、私は彼女の夫、与謝野鉄幹に話を聞く機会を得た。
※この時期、与謝野鉄幹は、「鉄幹」の号を使うのをやめ、本名である「寛」を使っていたが、この記事では「鉄幹」で統一します

「明星」廃刊後、歌人として極度のスランプに陥った鉄幹は、自信を失い、一時は自暴自棄になっていたと、与謝野夫妻に近しい、石川啄木は言っていた。

しかし、啄木の言葉とは裏腹に、晶子と同じ、自宅の洋間で私を迎えた鉄幹には、49歳という年齢に相応しい落ち着きと自信が伺えた。

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気落ちしている相手へのインタビューほどやりにくいものはない。私にしてみれば、嬉しい誤算だった。

そういえば昨年、「明星」を復刊させたという話を聞いた。慶應大学に教授の職も得て、妻に食べさせてもらっているという負い目がなくなり、自信が戻ったか。
だとすれば、話を聞くにはもってこいのタイミングだった。
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「今日はお忙しいところ、お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「何、暇さ。のっけから皮肉かね?だいたい、取材相手を間違えてやいないか?妻じゃなくて僕なのかね?」
「奥様にはこの間、お話を伺いました。その時はお取り次ぎ頂き、ありがとうございます」
「いや、なに…で、今日は僕に何を聞こうってんだい?晶子がだいぶ喋ったろう?」

「そうですね、まず、「明星」復刊、おめでとうございます」
「ありがとう。最初の「明星」が終わって、14年か…。あっという間だった。僕も落ちぶれたよ」
「……前回の「明星」廃刊には、参加歌人の離脱の他に、当誌が掲げていた「浪漫主義」の衰退もあったように思います」
「そうだね。時代は自然主義へと移っていった。古典の和歌を基礎とした、日本の「雅」はいつの間にか、時代遅れになっていたというわけさ」
「それをまた復刊するというのは?」
「前回の廃刊は僕にとっても心残りだった。それに、時間が経って僕にもまた書きたいものができた」
「「明星」復刊を考えられるほど、経済的にも余裕ができたということですね?」
「まぁ、それもあるね。僕はこの10年、無職同然だった。家に来る編集者は皆、妻目当てさ」

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「不振に陥られた原因は、何だとお考えですか?」
「それは…いくつもあるんじゃないかな。一言では言えないよ。総じて言えば僕の才がなかったということだろうが、それだけでもあるまい」
「ええ。先生の歌はかつて「ますらおぶり」と称される、力強いものでした」
「やめてくれ。今となっては恥ずかしいだけだ」
「そんなことはないでしょう。確かに一時代を象徴する歌風でした」

鉄幹は私の言葉に軽く頷くと言った。
「確かに、「明星」が終わって、やや気落ちはしたが、それでもここからもう一度、歌人としてやってやろうという気持ちもあったんだ」
「だけど、うまくいかなかった?」
「ああ…情けない話さ」
「……最初の「明星」に先生と奥様の歌が盛んに載った時期、妻帯者であった先生と、奥様の関係を非難する怪文書が出回りましたね」
「………あぁ、あったね、そんなことも。もう忘れたさ」
「忘れた?そんなこともないでしょう。俗に『文壇照魔鏡事件』と言われるものです。これにより、先生は先生の詩歌とは関係のない金銭や、女性関係についても叩かれました」
「………」
「それについて、今、何か仰りたいことは?」
鉄幹は、しばらく考え込むように俯いていた。
「……いや、特にないね」

「そうでしょうか?あの事件さえなければ、先生の評価は落ちずに済みました」
「あるいはそうかもしれない。けれど、それと僕の不振は無関係だ。少なくとも僕はそう思っている」
「そうですか。では、不振の原因とは別にするにしても、反論したい気持ちは?」
「今更したところでどうなる?」
「では、言われた非難は甘んじて受けるということですか?」
鉄幹は、苦笑いすると言った。
「どうも。手厳しいね、君は。何が言いたい?」

「既に世の人も承知の通り、先生と奥様の馴れ初めは密通からです」
「それで?」
「先生は晶子夫人と結婚する前にも、2度、結婚されています」
「……」
「しかもその2人のいずれも、先生が20代の頃勤めていた、女学校の教え子です」
「何だい?君もなんとか魔境の続きをやるつもりかい?僕に乗る気はないよ?」
「いいえ。お気持ちを伺いたいだけです」
「ふん」
「教え子に手を出し、2人とも妊娠させています。失礼ながら、教師としても、人としても、恥ずべきことかと」
「向いてなかったんだろうな、教師は。だから辞めたよ」
「そういうことを言っているのではありません。先生の、心根(こころね)を聞いているのです」
「こころね?それは倫理観とかそういうことを言っているのかい?」
「そう捉えて頂いても構いません」
「だとしたら、ないさ、そんなもの」

「ない?ないとは?」
「あるわけないだろう。教師と生徒だろうが、男女の関係にそんなものが通用するはずない」
私は、しばし、言葉を失った。
感情的な言葉を出すのは、インタビュアーとしては失格だ。しかし、つい、言葉が漏れた。
「あなたは、教師になるべきでなかった」

鉄幹はふっと笑った。
「過去の一出来事を取り出して、人を非難するのは易い。だが、それ込みで、今までの僕の功績もあるということを忘れるな?」
「確かにそういうこともあるでしょう。でも先生の場合はそうじゃない。教師にならなくとも、歌人や編集者になることもできた」
「運命論者ではないが、そんなこと言い出したらキリがないだろう?」
「……」

しばし、部屋に沈黙が流れた。
鉄幹は、諦めたように薄く笑うと言った。
「……そうさ、僕の女癖が悪かった、それでいいかい?それで満足かい?」
「………私も、感情的になり過ぎました」
「いや、いいさ。僕の女性関係に嫌悪感を持つのは普通の反応だ。そうでない人間の方こそ、僕はむしろ警戒するよ」
「では改めてお聞きしますが、今、そうしたことを振り返って、後悔や、申し訳なさはありますか?」
「後悔はないね。申し訳なさは、多少、相手にはあるがね。まぁだが、それとて、お互い様な部分もある。恋愛において、どちらか一方だけが「悪者」などあり得ない。もしあるとしたら、そんな恋愛はろくなものじゃない」

「では次に、山川登美子さんとのことを、お聞きしてもいいですか?」

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「どうぞ」
「晶子夫人と結婚される前、先生は晶子夫人と、登美子さん、両方から想いを寄せられていました。そしてそれを、「明星」誌上で2人の歌として公にしていました」
「ああ」
「晶子夫人は、そのことについて、雑誌の売り上げを伸ばす為の、先生の戦略だったと仰っていました。実際は、どうだったのでしょう」
「まぁ確かに、そういう気持ちもあったかな。皆、好きだろ?こういう話題は。盛り上がる。まだあの頃、「明星」の知名度も低かった。何とかして、「明星」を知ってもらう必要があった」
「なるほど。では、自身を巡る三角関係を、仕事に利用した、ということですか?」
「その時はまだ妻もいたからね、正確には四角関係さ。ははっ」
「……」
「自身の生活のことを仕事と繋げるのはよくある話だろ?田山花袋の私小説や、啄木の歌なんかもそうじゃないか」

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「そうですね。しかし、心は痛まなかったのですか?見ようによっては、2人の若い女性の心を弄んだとも言えます。教師時代の反省は、何も活かされなかったのですか」
「……」

「1つ、君の誤解を解いておきたい」
「……」
「僕は、教師時代の女性問題について、反省などしてないよ。さっきも言ったが、相手への申し訳なさはある。だが、反省することなどない」
「……そうですか」
「その上でさっきの君の質問だが、弄ぶとかどうとか、世間の定規で、歌の世界を計られても困る。歌は遊びさ。言葉の上、歌の上での恋の駆け引きなど、当たり前。平安の時代から日本人はそうやってきた。1つの楽しみ、嗜みのようなものさ。そこ含めて、楽しんでもらえたらと思っていた」
「けれど、実際に先生と晶子夫人はその後、結婚されています。かたや、登美子さんは傷心の末、他の男性と結婚しました。これが、ただの歌の上の遊びですか?」
「曖昧なのさ、その線引きは。だからこそ、こうした恋の火遊びは盛り上がる」
「……」

私は、じっと鉄幹を見つめた。
「これは、私一個人の気持ちですが、謝るべきでは?先生は」
「ほぉー、誰に?」
「登美子さんにです」
「何故?」
「登美子さんの歌は、遊びなんかではありませんでした。先生への純心を歌ったものでした。本気でした。それをわかっていながら、先生は思わせぶりな歌で彼女の気持ちを引き伸ばし、挙句、捨てた」
「それは違うな」
「何がです?」
「彼女は親が決めた結婚相手がいたのさ。僕に何ができた?」
「だとしても、あなたが登美子さんを傷つけたのは間違いない。あなたは晶子夫人と登美子さんを天秤にかけてた。あなたにとっては、どっちでも良かった。だけど、登美子さんに結婚の話が持ち上がり、それならと、晶子さんを選んだ。事実、登美子さんが実家の小浜に戻ってすぐあなたは晶子さんと結婚している」

余裕の態度だった鉄幹も、ここに至って、やや、顔色を変えた。
「何だね、君は。だからどうした?何が悪い?」
「開き直りですか?」
鉄幹は苦笑した。
「なら聞くが、君は登美子の何を知っている?登美子と僕がどんな言葉を交わしたか、何を話したか、知らないだろう?外野は黙ってもらおうか」
「……」

これ以上、登美子とのことを聞いても得るものはないだろう。
私は、話題を変えることにした。
「……「明星」が廃刊になってから、現在までのことをお聞きしても?」
「いいよ。だが話なんてあまりないよ、その時期のことは」
「3年前、大学教授の職に就かれましたね」
「あぁ」
「それで経済的に奥様へ依存することもなくなり、精神的にも安定したのでは?」
「まぁ………」
鉄幹はそれ以上言葉を続けず、苦笑しただけだった。
「もちろん、先生にとっては教授の職は望んだものではなかったでしょう」
「ふふ、まぁね、だが、仕方ない。もはや、贅沢を言ってられる状況でも身でもないからね」
「やはり本当は歌人として、編集者として活躍したいという思いがおありですか」
「そりゃあね。しかしそれは世間の需要がなければ叶わない」
「けれど「明星」も復刊しました。昨年には奥様と共に文化学院も創設されました。与謝野鉄幹、第2章はここから、という感じでは?」
「まぁ、そんな野心もなくはないがね。少しは晶子に恩返しもしたい。彼女には、世話ばかりかけてる」
「パリへの渡航費用も彼女が工面したとか」
「まぁね、彼女以外にも、色々と世話になった。にも関わらず、僕は向こうじゃ全然書けなかった。遅れてきた彼女が代わりに沢山書いてくれて、体裁は保てたが…。いや、僕個人としては保ててないのだが、まぁ、対外的な体裁という意味でね」

私は、インタビューの最後に、晶子にしたのと同じ質問を鉄幹にもぶつけた。
「最後の質問になります。これは晶子夫人にもお聞きしたことです。ですから、先程のような先生を責めるような意図はないと思っていただきたいのですが…」
「何だね?」
「最後に、山川登美子さんへ今何か、伝えたいことはありますか?」
「そうだね…」
鉄幹はしばらく考えていたが、やがて思いついたように言った。
「あれだな、3人で永観寺に泊まった夜…あの時食った団子な、寺の者に言って温め直してもらえば良かった。登美子と最後の旅行になるなら、そうしとくべきだった。気がつかなくて、すまない」
「………わかりました。本日は色々答えにくい質問にもお答えいただき、ありがとうございました」
「いや何、気にしてないさ。いい暇つぶしになった。また遊びに来るといい」
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あとがき
与謝野晶子、鉄幹・山川登美子の3部作、お読み頂き、ありがとうございました。
書いてみて、3人の中で自分が一番伝えたかったのは、世間的にも知名度的にも与謝野夫妻の陰に隠れている、山川登美子の生き様だった気がします。
それをより立体的に照射したく、晶子と鉄幹にも登場してもらいました。

今年も、自分にしか書けない形と熱量で、様々なアーティストの「生き様」をお伝えしていきます。
楽しみにして頂けたら嬉しいです。


これからも色んなアーティストの胸熱なドラマをお伝えしていきます。 サポートしていただいたお金は記事を書くための資料購入にあてさせていただきます。