霧の日

 仕事を終え家路に就こうと駐車場へ出ると、一面が深い霧である。

 生活道路の街灯が、等間隔に浮かんでいる。左右に分かれていたはずの道に、まっすぐ吸い込まれそうになる。フォグランプが、購入以来はじめて本来の能力を発揮した。

 大きな道に出る。追い越し車線から、うなり声とともに光の玉が2つ、4つと掠め去って行く。バックミラーにはなにも映らないが、気が付くとあと少しのところにヘッドライトが迫ってきている。ハイビームを付けてみるが、ここを照らしていたものが、そこも照らすようになったばかり。いやに暗い、停電でも起こしたのだろうかとそわそわ左を流していると、突然、赤いランプが頭上に現れる。あと一歩のところで脊椎カリエスにならずに済んだ。

 突然のことで、大学の授業中に身の上話をすることになった。隠しているというわけでもないが、多くの学生が教室の片隅にいる見知らぬ科目等履修生の正体を知ることとなった。めっきり人前で話す機会もなくなり、もとより座を沸かすような話術のある人間でもない。とりあえず、事実を話すより仕方がない。少し早口になりすぎてしまったな、あの言い方は顰蹙を買ってしまっただろうか……いまさらの反省会が、運転の集中力をさらに削っていく。京都から来たらしい様子のおかしい人、と思われてしまっていないだろうか。誤解を与えていないか心配になる。

 家庭教師という仕事柄、結局は生徒の将来についてある程度考えることになる。だが、そんなに未来というのは簡単に見えるものなのか。ライプニッツは「神は傾かせるが強いない」と言った。考えられる、からと言ってそれは本当に存在するんだろうか。あるいは、見えていなくても進むことはできる。進むことが目的なら、アクセルを踏み、ナビの指示に従えばいい。だとすれば、霧が晴れることの方があるいは残酷なのかもしれない。少し喉が渇いたところに、コンビニの看板が漂ってきた。

 店内はひたすらに白く、明るい。安いクラシックのアレンジが無限ループする店内は、視線や動線にすら無駄がない。だから、暖かいミルクティーはいつも同じ場所にある。

「こちらの商品いま並べたばかりで、あまり暖まってないんです」

「あ、そうなんですか」

「こちらでよろしいですか」

「じゃあこっちのと交換してもいいですか」

少し悩んでやめたほうの商品を手に取り、レジに置く。

「大丈夫ですよ、申し訳ないです」

「いえいえ、丁寧に教えてくれてありがとうございます」

紅茶は良く温まっていて、少し薄着をしてきた分、コートのかわりをしてくれる。でも、やっぱりいつものにすれば良かった。

 北へ向かうにつれ、霧が晴れ、見通しがよくなっていく。

 家に着くまでは、あと10分の距離がある。


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