ふたたび、盆地で過ごす冬

 広島県は瀬戸内海式気候に属し、年間を通して比較的温暖であり……というのは、地理を教えていたときに教科書や問題集で何度となく目にしてきたことだった。
 それなのに、広島の片田舎でクリスマスイヴを迎えている私はどうだろう。底冷えのする部屋でひとり、コタツから一歩も出ることができない。教科書が間違っているのか?いや、この東広島が間違っているのである。

 アカデミックカレンダーは当然キリスト教とは無関係なので、救い主の生誕日などではなかなか大学を休みにする気はない。スーパーグローバル大学のトップ型指定校なのだから様々な文化圏の祝日に配慮すべきではないのか?と思うが、それでも、その生誕祭の前日で盛り上がるというのは、どう頑張っても資本主義以外に救えるものではない。むしろこの国は前日のほうが「本命」で、25日はもうすでに学祭明けのキャンパスのような空気が街に流れている。私がケーキを買うのは、たいていそのタイミングからである。

 研究室のゼミがあって、それが年内最後の大学への用事だった。
 M1が学会発表に向けた練習をする回だったので、本番で出そうなことを中心に質問を投げかける。終わった後になって、同期がこんなことを言う。
「今日の質問よかったよ」
「そう?どこが?」
「相手の議論の弱点を確実に撃ち抜きに行ってたのが」
それじゃ単なる嫌なヤツじゃないか、と思うが、考えてみればそれでもう半年以上やってきたのだから今更手遅れである。しかも今日は院試を受けようという4年生も見学に来ていた。学園モノで良くありがちな「陰険で偏屈な先輩院生」というものに、図らずもなりかけている。

 明日の非常勤の授業の準備をしているうちに、コタツが底冷えに囲まれてしまっていた。淹れたてだったコーヒーはとうにアイスになり、エアコンは動作中のはずなのに、私の知らないどこかに暖気を運んでいるらしい。日の出ているうちに大掃除を進めるつもりだったんだけどなあ、と、仕方ないのでせめてゴミ捨てにだけ出ることにする。

 寒い寒いといいつつ、相対的にはここ数日のうちでは暖かい。だから湿気が霜にならず、霧となって田んぼと学生マンションばかりの街を包んでいる。路面は凍らないだろうけど、どのみちこれでは視界が開けない。晩飯がてらのナイトドライブは、残念ながら見送るしかない。街灯のない、鹿の出るような夜道をいま走るには、根性もマシンスペックも足りないのだ。

 こんな霧でも飛ばなければならないのだから、あのおじいさんも大変なことだと思う。世界的なコロナ流行における国家間移動の貴重な例外も、こう霧が深くてはその権利を返上したいのではないだろうか。かつては私にもその人はやってきたが、気が付けばこんな皮肉とともに実在を信じられなくなってしまった。贈り物が届けられる限りにおいて、もう一度信じてやってもいいのではないか。南向きのベランダには、季節外れの蜘蛛の巣が張っている。

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