花城凜

 おはようございます。
KAMIKAWA士別サムライブレイズ背番号5番
沖縄県宮古島市出身の花城凜です。
 今シーズンはサムライブレイズでプレーすることになりました。
それに伴い、日記感覚でnoteを投稿しようと考えたのでまずは自己紹介とサムライブレイズに入団するまでの野球人生をざっくり書いていこうと思います。
 前述したように、沖縄県宮古島市出身で年齢は今年で24歳になります。好きな食べ物は和菓子、あんこなど素朴な味のする物、お茶、など。趣味は読書、自然に触れ合うこと、体を動かすこと、スポーツ全般、です。
基本的になんでもやってみようと挑戦しがちな性格で、「コレが出来るようになりたい」と思ったら極められるまで継続するタイプの人間です。例えば倒立も最初は全くできませんでしたが、毎日継続して倒立してたら1年くらいで1分はキープできるようになりました。
それでもまだ極めるレベルには達してないので倒立の継続は続きます、、🥸
また、出来るようになるまでの過程を凄く楽しめるので、毎日成長してる自分がとても好きです。
 自己紹介はこのくらいにして、野球を始めたのは小学校2年生で、東少年ヤンキースというチームで宮古島市の中でも人数の多いチームでした。始めた頃はボールもとれず、バットにも当たらず、ひと学年下の後輩から「三振王」と揶揄われていました。
 そんな三振王も転機が訪れて、小学校四年生のころ西辺小学校に転校することになりました。そこでは同級生が16人で、宮古島の中で小規模な学校でした。西辺小学校では保育園の頃、一緒だったので皆んなとはすぐに仲良くなりました。野球部は同級生がたぶん9人くらいで、小学四年生から中学中三まで楽しく、時には苦しい日々を過ごしてきました。
そして、沖縄県立宮古高等学校に進学し最後の夏の大会は現オリックスバファローズの宮城投手要する興南高校に負けベスト8でした。
宮城投手とも対戦してスライダーで空振り三振した記憶があります。
そして大学は長崎国際大学に進学するも2年夏に中退、そして沖縄の琉球ブルーオーシャンズに入団しました。ブルーオーシャンズでは思うように結果がでず2年で辞めました。
もっとできるはずという悔しい思いを持ったまま、福岡のGENESISというクラブチームに入り、昨年12月に行われたJapan Winter Leaguに参加し、そこでブレイズのヘッドコーチである小野さんにお声掛け頂き、入団することになりました。
 僕自身、まだまだ何も野球で結果を残していません。ブレイズでは誰よりも練習、トレーニング、仕事を頑張って誰よりも活躍して自分の夢の第一歩であるNPBにステップアップできるようにひたすらにやる事を継続していきます。
 そして、自分が夢を目指す中で自分1人では達成できないし、色んな方々に支えられてるという事を実感しています。その方達に、必ず恩返するという気持ちも忘れず、感謝の気持ちをもって今シーズンはプレーします。
 自己紹介から野球人生、目標まで書きましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!これから更新していくので宜しくお願いします^_^

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