夜、コーヒー、ブルーライト
ずっと愛されたかった。
私、じゃなくて、「わたし」を見てほしかった。
計算された虚像じゃなくて博打を打ったみすぼらしい姿をその目に写して欲しかった。その貧相ささえ受け入れて欲しかった。でもそれは電卓を無表情で叩けたからこその願いで、本当はそんなこと望むことがそもそも間違いだったんだよ。
貧相な、ぼろぼろな自分自身を受け入れられないのにそれを他人に押し売ろうとするなんて、
なんてたちの悪い売人なんだろうね。
計算式が見えない一瞬はひどく脆くてあさましくて恥ずかしい。ねえお願いだよ、私はもう自由になりたいだけなんだ。
感情を、思考を、表に出す機会が増えるほどにもう全部消したくなる。何も感じない何も考えない、だからこっちを見ないで。
張りぼてが保っていられるうちに視線を逸らさせて、とりあえず笑っておく。
私はどんな顔で生きていたんだっけ。
どんな顔なら生きていていいんだっけ。
どんな顔が許されるんだっけ。
どうすれば、何をすれば、生きていることを自分自身で許せるんだっけ。
ああ、なんだかもう、疲れたなあ。
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