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勘違い平行棒 1

デザイナーにはなれない、設計士にもなれない職人にもなれない。なんならミュージシャンにもなれない。

できない自分を認めるのには膨大な時間がかかったような気がする。歳を取ってから何かに挑戦すると云うのは聞こえは美しいけど、僕にはできないし挑戦するために必要なある部分が大幅に欠けている。それは何なのかは言わない。

僕は建築屋という仕事をしていますが、天職だとは思ってない。むしろ向いてない方かもって思う時もある。これを認めるのは嫌だったけれど、何で続けてられるのかはよく分かるようになってきた。人と話すのが好きだからである。なぜ人と話すのが好きなのか?笑ってもらえるからだと思う。これが僕の得意なことであり自信のある部分だから。唯一自信があると言える事かも知れない。

幸せになる家作りとか幸せになる料理とか。

は?って思う。できる訳ないのである。ペテンに感じる謳い文句。違和感でしかない。幸せになるにはってのに人は一生をかけるのに、よく簡単に幸せになれるというような言葉が使えるんだなと。目の前の人も楽しませたり笑わせたりできないのに、そんなことができる訳がないだろう。

ネットのタダ記事はただの広告である。

本を読むのは良いことだと思う。けど、例えばリーダーの〜とか、できる男の〜とか、そういう本を本屋でタイトル買いしても仕方ない。そもそもノンフィクションの本を本屋で探してる時点でちょっとしたギャンブルでしかない。僕もたまに本は買いますが、動画で紹介されてる本を中古で買います。ちなみに自己啓発本は買いません。そういうのは30代で卒業しました。

そもそも僕は自分自信の能力の限界を知ってからはもう、自分がどうなりたいとか考えていないしどうでもいいのである。

仕事覚えて半人前、人を育てて一人前。

尊敬するエロい人の言葉です。仕事を覚えるというのは果てしなく続きます。それならもう自分のことは見限って、子供に注力しようと。キレイに言えばそんな感じです。しかし勉強しろと、僕も妻も子供に言ったことはほとんど無いです。

勉強できる人と居たら、絶対幸せですか?

昨今、子供に勉強を強いる親が多くなってきているのはよく見聞きすることである。この日本に安定した就職口なんかまだあると思ってるのだろうか。子供に嫌われててまだ勉強をさせる。最悪である。

度を越すとモラハラとも言われるような存在にもなりかねない、勉強のできる人たち。勉強より前に植え付けなければいけない部分が育たないとそうなるんだと思います。でも勉強ができるだけまだマシかもしれない。あれもダメここも中途半端では、めちゃくちゃ時間のかかる人生になりかねない。ま、僕のことなんですがね。中途半端に生きてきて2度も大きな挫折を経験したので、もう大抵のことはなるようにしかならないと思うようになりました。はっきり言って楽です。遅れた分を取り戻せた感触はあります。

つづく。


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