私の長所と他者の長所

素晴らしい2つの発見がありました。
ひとつは自分の長所を発見したこと。
もうひとつは他者のポテンシャルをもっと信用しようと思えたこと。


自分の長所の見つけ方として、「無意識にやってるけど、ほとんどの人ができないこと(苦手なこと・やりたくないこと)」だと言われています。
それって、自分にとっては「あたりまえ」だから、気づくのが難しいんです。沢山の他者と比較した結果、やっと見つかるものだと思います。

私はこの年になって、ようやくひとつ見つかりました。
それが「変化できること」です。


変化できるってなに

変化するということには、様々な側面があると思います。

  • 今までの自分が間違っていたと認めること

  • 新しい挑戦をすること。そしてその頻度が多いこと

  • 失敗で落ち込まないこと。もしくは失敗から素早く立ち直ること

  • 今ある環境を捨てられること

  • 新しい環境に飛び込めること

  • 新しい環境に素早く適応できること

  • モノに依存しないこと

  • ヒトに依存しないこと

  • 良いものに「良い」と素直に言えること

  • 総合的に合理的な判断ができること

これがパッと思いついたことです。まだいろんな要素がありそうですが、私の中で「変化」をひと言で表すなら、最後に書いた「総合的に合理的な判断ができること」に尽きると思います。

なぜなら、もし「現状に不満があり何かを変えたい」と望むならこれらは全て必要な能力であり、必要なら身につければいいという合理的な判断さえできれば身に着けることができるからです。

しかしその合理的な判断ができないからみんな変化できないのでしょう。



合理的ってなに

辞書ではこう書かれています。

1 道理や論理にかなっているさま。
2 むだなく能率的であるさま。

多くの人は、「自分はある程度合理的な選択ができている」と思い込んでいます。しかし合理的な選択とは非常に難しく、多くの人ができていません。
それにはいくつかの理由があります。

  1. 情緒的な影響:ストレス、不安、怒り、喜びなどの強い感情が絡むと、客観性が損なわれ、合理的な判断が難しくなります。

  2. 認知的バイアス:様々な要素を含みます。例えば、確証バイアス(自分の意見を裏付ける情報にだけ注意を向ける傾向)、選択の枠組み効果(問題の枠組みによって判断が変わる傾向)、群集心理(周囲の意見や行動に影響を受けやすい傾向)などが含まれます。

  3. 情報の不足:情報が不足している場合、合理的な判断を下すことが難しくなります。特に複雑な問題や不確実性の高い状況では、情報の欠如が問題をさらに複雑化させます。

  4. 制約や制度の影響:社会や組織の制約や制度が影響を与えることがあります。特に政治的、経済的、文化的な要因が判断に影響を与えることがあります。

ほかの要因もあるのですが省略します。
これらの要因から多くの人が合理的な判断ができない状況が見えてきます。

逆に言えば、合理的な判断をするためには、感情を安定させ、様々なバイアスを認識しそれに捉われず、広く情報を収集し、社会的に制約を受けない生き方をする必要があります。
・・・と、簡単に言いますが、これがなかなか難しいようですね。
なにが難しいのか見ていきましょう。

まず感情を安定させることができない人が多い。
これは、この中では一番簡単だと思うけど、なぜかできない人が多い。
理由はわからない。

次にバイアスについて、これは2つの課題があり、ひとつは「バイアスの存在を認知すること」で、これは単なる情報収集で済むので少し時間を使えばできます。問題はもうひとつの、「バイアスを認識した上でそのバイアスを排除すること」で、これがどうも難しいようだ。
たとえば現状維持バイアスという、「確証のない変化を望まず、じわじわ衰退する危険信号を感じても変化する必要はないと考える人間の性質」があります。これは狩猟時代の名残なので、現代では無視したほうが合理的です。変化して何かが変わってしまう事は怖いと「無意識に」感じるため、「意識的に」変化を受け入れようと思わなければ変化できません。こうした無意識に感じる「恐怖」に立ち向かうことができない人が多いようです。

情報の収集についても同様に、ただ興味のアンテナを立て広く情報を集めようと努めるだけでいいのですが、それが難しいようです。人は自分の興味の対象外の物事に対してあまりにも無頓着であり、また興味の範囲がすごく狭いものだと感じます。

そして最後に社会的な制約についてですが、仕事をしていたり、家族付き合いや友人付き合いがあったりするため、これらすべてを排除するというのは中々難しいことでしょう。また社会的な繋がりとは自分の居場所を意味しているので、それらを捨てる意味については本気で考えないと見えてこないでしょう。あえて変化を望まない限り、居心地のいい環境に居座りたくなるものですね。制約を振りほどくのは大変ですので。


つまり私の長所って?

つまり私の長所は、感情を安定させることができ、様々なバイアスを認知しそれに捉われることなく、興味の対象が広く多くの情報を集めることができ、モノやヒトに依存しない強さがあるところです。

しかしこれまで、これらの事を当たり前だと思っていました。
なぜなら、「これらの能力を持っているから変化することができる」のではなくて、「変化の必要性を感じ、変化しない危険性を知り、後天的にこれらの能力を身に着けた」からです。
つまり私は、生まれながらにして合理的な人間だったわけではなく、様々な苦境を乗り越えて、合理的に生きようと決心し、自分自身を変えたわけです。

しかし、こうなるまでに必要だったのは変化を受け入れる覚悟だけではないとも思います。幼少期から自由に使えるパソコンが自宅にあり様々な情報が取り入れやすい環境であったことや、視力が悪すぎて先の動きを予想する必要があり常に何かを思考するという癖がついたことや、小中高と学校まで片道30分ほどかかるため様々な事を考えて整理する時間が確保されていたことや、それによって重大なことに気づくことができた運や、変化を恐れない先人たちとの出会いや、すごく恵まれた仕事に就けて十分な給料を貰っている両親がいたこと(それなのに少し裕福なだけで「お金持ち」ではないという絶望)など、考えればまだまだありますが、どれかひとつ欠けていても今の自分にはなっていないと思います。

ですが結局のところ、私はたまたまそのきっかけが早く訪れたというだけで、変化する重要性に気づくのが遅かろうが早かろうが、気づいて変わろうと思い続ければ誰でも変われると思っていました。
だから現状に不満を抱きながら、愚痴をこぼして生きていく人生を選択する人の気持ちが理解できなかった。
そもそも上記した私の環境についても、「特別運が良いな」と羨ましがられるほどのものでもなくて、みんなそれぞれ認知のキッカケとか変化のキッカケってあるんですよね。結局はそのチャンスをものにできるかどうかという所と、自分の環境を不幸だと思い込まない事が重要なように思います。

けど最近だんだんとわかってきました。
現状のままではダメで、何かを変えたいと望んではいるけど、変化した先は暗闇だし、明確な正解なんてないから、その暗闇に飛び込むくらいなら、薄明るい今を嘆きながら生きていたほうがマシだと思いながら生きている人のほうが普通だということに。

みんな、変化したほうが良いことを知らないわけではない。
現状には様々な問題があることを知っている。
けど知っているだけで、変わりたくはないのだ。

ただ思うのは、変わろうが変わらまいがどうでもいいのだけど、変わらないというのは、「なんとなく変わらない」のではなくて、本を沢山読んで、人に興味を持って様々な考え方に触れて、自分自身も豊富な経験を積み、数えきれないほどの生き方を選択できる中でなお「変わることを選ばない」のであればいい。
あなたが変わらないのは経験不足のせいだし、知識不足のせいだし、興味を持つ対象が狭いせいだし、バイアスを認知できていないせいだし、あとほんのちょっと勇気がないだけだと思います。

だから私は「変わりたい」という人に対して、本を読め、勉強をしろ、思考量を増やせ、考えたことを書き出してまとめろ、自己認知しろ、他人を理解しろ、興味の範囲外のことに触れろと言います。

・・・と、ここまで正確に言語化してひも解いても、ほとんどの人はそうしません。なぜなら怖いから。そしてめんどうだから。
でも、怖いのはバイアス。楽をしたいのは人間の本質であり脳からの命令。だからそれはあなたの感情ではないんですね。
みんな同じようなことに悩んでるのに、さも自分だけが苦しくて、考え抜いた結果今の選択をしていると思い込んでいるのが大きな問題です。知識不足。馬鹿。恥ずかしいと思え。無能。

「変わろうが変わらまいがどうでもいい」と書いたけど、結局は変わろうとしない人のことを愚かだと思っている。けど、愚かじゃない人のほうが少ない。だから私は自分のことを賢いと言うし、優れていると言うし、天才だと言うし、そして他人を馬鹿にする。

もはや長所の話なのかなんなのかわからなくなってきた。多分長所ではないように思えてきた。


そして逆説的に見えてきた他人の長所

私は、ひとつの物事に対して専門的に学び続けることができない。なぜならそれは合理的に考えて意味がないと知っているから。
学び続けて意味のあるものもありますよ。例えば人生についてとか、思考についてとか、コミュニケーションについてとか、組織のデザインとか、これからも使い続ける能力だし、身に着けると仕事だけじゃなくて人生全体がよりよくなる能力。だからそういったことに関しては学び続けます。

私の言う意味がない事というのは、仕事に対する専門的な知識とか資格とかそういうもの。その業界では重宝されて少し給料が良くなったり待遇が良くなるのかもしれないけど、それを学んで人生が良くなるの?と思う。私は無駄だと思うからやらない。

けど前述したとおり変化を望まない人間であれば、現状の外側の知識を学ぶことよりも、「いかに今の環境でより良い待遇を受け取るか」ということを考えるのだろう。それなら、資格を学び、その業界の専門的な知識を学ぶメリットが見えてくる。

生き方が違うから学ぶことも変わってくる。

学生時代から、私より勉強ができる人はいっぱいいた。
なんでこの人たちはこんなに勉強を頑張るんだろうって思った。
人生をよりよく生きるコツを学ばないくせに勉強ばっかりして、どうせこれからの人生、愚痴をこぼしながら、手に入る幸せだけを大切にして、過去を振り返りながら生きていく大人になるんだろうなって思ってた。
案の定社会に出てみたらそんな人たちばっかりだった。

けどそんな人たちのおかげで専門的な仕事が回っている。
なんでそんなに情熱をもってひとつのことが学べるんだろうって思う。
どうぞ頑張って変化を恐れて今の環境で成長してください。
人生は生きやすくならないし待遇も大きくは変わらないし、いつクビになるかもわからないし、会社がつぶれる可能性もあるし、時代の変化に対応できないかもしれないけど、直近の数年はとりあえず快適に生きていけるかもしれませんね。そんな短期的な幸せを追求できる愚かさ。それがあなたの長所です。

この記事は前回のストレスが爆発して書いた記事の続編的な、冷静になったバージョンみたいな内容なので是非前記事もどうぞ。


書いて欲しい事あったらいってー