見出し画像

好き嫌いの言語化が苦手

元々言語化が苦手なのに文章は書きたいという想いだけがある。その想いの発端は忘れ去られて、いまは名残だけが残ってる。

で、名残はあるなら書かなきゃならんということで、苦手な言語化について書いてみたい。

読者ハ読ムナ(笑) ~いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか~ この本と藤田和日郎のYouTubeの講演動画がきっかけで、好きなものや嫌いなものを言語化してみたいと思った。

藤田は漫画を描いている時に、アシスタントと一緒に映画をかけていて、なぜその映画を面白いと思ったのか。どこが好きなのか。面白くない場合はどこが面白くないのか、嫌いな部分はどこか感想を言い合うらしい。

作品に映っている好き嫌いは鏡になっていて、言語化することで自分は何が好きで嫌いなのかをわかっていく。そしてだんだんと自分が描きたいものがわかっていく。藤田のアシスタントはデビュー率が高い。烈火の炎、金色のガッシュなどだ。それは彼らが言語化することによって、自分が何を表現したいかがわかったからじゃないか。

というわけで言語化をしていきたい。

最近見返したぼっちざろっくについて言語化したい。言語化言語化うるさいが、ようは自分の考えを書き出して、好きな部分や嫌いな部分に理由をつけていくってことだ。面白かった〜の曖昧な一言で終わらせているのをもう少しだけ長くしてみようという試みだ。

ここでまた藤田の話に唐突に戻る。彼は持ち込みをした時、担当の武者さんに感動を書けと言われた。感動とはキャラクターが変化すること。それを考えて藤田はうしおととらを描いた。

で、ぼっちざろっくで好きな部分の話に戻る。第5話のライブシーンで1人じゃなく、みんなで武道館にいきたいってところが好き。ここでバンド終わらせたくないって、オクターブ奏法するとこも好き。さっきの藤田理論だと、ここはぼっちちゃんの考え方が自分のためにからみんなのために変化し決断してるところだから好きだと感じたのかもしれない。しかし、自分は音楽にめちゃくちゃ影響されやすい人間のため、感動的なシーンで自分好みの感動的な音楽が流れていれば、多少脚本が荒くともいとも簡単に大好きになってしまう。なので、ストーリーの部分だけで好きなのかどうかは謎だ。こういう感覚的な部分が根本的に言語化と相性が悪い。第8話も同じで、一曲目が緊張で微妙な中、このままじゃ嫌だ!ってぼっちちゃんが実力を発揮するとこも好き。ギターの部分がトレモロを交えたカッティングでかっこいい。ぼっちちゃんの凄さに結束バンドのメンバーも復活する。ギターヒーローだ。相手に対しての見え方が変わるのも変化だと考えよう。このシーンと全体を含め、虹夏にとってぼっちがヒーローになっている。

視聴者側にとって変化を感じるシーンとして、虹夏が狭い台所でエプロン姿でドラムを練習してるシーンが1カット挟まるところがあるのだが、ここが響く。その1カットで虹夏ちゃんの苦労や、ご飯作ってる時もドラムに打ち込む情熱がわかる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?