祖母の思い出

お盆です。
父方の祖父母は既に他界しており、母方の祖父は私が生まれた時にはすでにこの世におらず、残るは母方の祖母ひとり。
それも、実家でのいろいろごたごたあって、もう3年以上会ってません。

父方の祖父母とは、父が神戸から地元へ戻ったのを期にずっと同居していました。
祖母は仕出し弁当の会社に務めていて、朝早くに工場へ出勤し、昼過ぎに帰ってきていたものです。
肉付きのいい祖母の手からは、いつも塩素系消毒薬の匂いがしていました。
幼い頃は、祖父に連れられて祖母の迎えに行っていたものですが、工場の就業を告げるベルの音が苦手でね。
古い目覚まし時計みたいな、お腹にまで響く音が工場内に鳴り渡ると、一斉に白衣姿の女性たちが出てきて、祖母の姿を探して、カップの自販機でジュースを買ってもらって、祖父と三人で帰るのです。

仕事を辞めた祖母は、料理教室や編み物教室へ通っていました。
料理は昔から一流だったので、お付き合いみたいなものだったのでしょうか。
母は働きに出ていたので、家族の食事は祖母が作っていたのですが、煮物とか、ばら寿司とか、Theおばあちゃんの味みたいなものもあれど、うちは姉弟3人だったので、どちからというとカレーとか唐揚げとか、今どきメニューが多かったと思います。
キムチ鍋とか、煮込みラーメンとかもよく食べたなぁ。

祖母は性格のキツイ人で、よく母をいびっていました。
母は奔放な家の生まれで、どちらかというと適当な性格(というか、元は多分かなりだらしない)だったので、几帳面な祖母には気に入らないことが多かったのでしょう。
何かにつけては「あんたのお母さんはだらしない」と私にまで漏らす始末。
年頃になって私が反抗期になると「親がだらしないから子供がこうなるんだ」などと。
母は母で、「あんたがちゃんとしないから、お母さんがおばあちゃんに怒られるんでしょ」とか言うし。
思春期の我が家、今思えばカオスでした。
祖母のご機嫌を保つために私がいて、それは母のため。
そんな母にも子供なりに尽くしてきたつもりでしたが、最後に裏切られたりして、実家とはすっかり疎遠です。

だけど、祖母のことは嫌いじゃなくて、祖母の作ったご飯のことをたくさん思い出します。
私が台所に立つのが好きなのは、祖母のおかげ。
そして美味しいものをたくさん食べさせてくれたから、自分も美味しいものが作れるようになったと思っています。
実家には調理器具が本当にたくさんあったけど、多分祖母もキッチングッズマニアだったんだろうなぁ。
しっかり遺伝しています。

祖母がだんだん弱って、施設に入った頃、ちょうど働き盛りで自分一番だった私は、施設にあまり会いに行かなかったので、それが心残り。

今年のお盆も実家には帰らないから、弟に頼んで、仏壇に私が焼いたパンを備えてもらおう。
私の生活が充実したのは、あなたのおかげです、と。

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