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人の話に動揺しない方法

新たな観点に気付くと今まで気付かなかった事柄に気付くことがある。それは主観的な観点で言えばまるで世界がガラッと変わったようで何らかの感情が発生するけど、実際は解像度が高くなっただけで現実は何も変わっていない。
動揺する時、変わったのは “私の内面” であって “世界” ではない。

悪い所に関しての話ばかりする人達に振り回されてきたけど、「悪い所ばかりが目につく」というのは “その人自身の偏った観点” であって、私が感じている焦りはその人の極端な観点から見た焦りであって世界のうちの極狭い域だ、と割り切るようにした。
人の意見は「絶対的に正しいもの」ではない。人が悪いと言うものにも良い所は探せばある。まだ分からなくても見つかっていないだけでどこかにある、と全体的な視点を意識するようにし始めた。

私は自分なりの観点を忘れて人の観点に染まりやすいから、どうしても周りの言うことがそのまま「正しい」と思えてきてしまう。
だけど実際は他人に見えているものだけが全てじゃない(世界には誰も知らない領域もあり、それを含めてこそ真実)という事を知ってから気持ちが楽になった気がする。表があるなら裏もあるように、短所だけなんてあり得ない。プラマイゼロにならなければおかしい。だからプラスしかないとかマイナスしかないという極端な視点になっている時は「見えているものが全てではない」と考えることが重要。

短所を強調して誘導してくる人に振り回される必要はなく、長所があることを他の人の口から証明してもらう必要もなく、自分がそう思うならそれを信じていいんだ!と自分に言い聞かせてる。自分の内面に気付くまで時間がかかるから、すぐに「分からないから自分は“何もない”として相手が正しいとして合わせる」ではなく、少しでも違和感を感じたら自分で気付くまで「待つこと」を大切にしたい。急いで決断を要求してくる人は、私のことを尊重していない人。

私は人の話を聞いて焦りがちだけど、焦るのは人に合わせすぎているから。人の話しか聞けていない。話している話題の中で「その人が見ている以外の観点」に意識が向けられていないのだから振り回されて感情が不安定になる。

「表と裏があってこそ物事は成り立つ」ということを忘れないようにしたい。





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