自分を偽るのは嫌だ

タイプ4の「自分に嘘をつくのが苦手」ってどういうことか分かってきたような気がする。

私は人と関わる時には全然自我を出さないタイプなんだけど、そういう自分を “隠す” ことと自分を “偽る” ことは別物な気がする。
自分を隠すのは平気だけど偽るのは平気じゃない。

例えば、いくら人前でよく思われるために本来の自分を隠していたとしても、それで「あの人は自我がないね」と言われた時にそれを認めたくなかったりとか。

ま〜〜〜だそんなもんかわいいもんで、その特徴で一番困るのが就職活動の時なんだよ。

「職場に気に入られる思想を持っている人のように振る舞う」というのがキツイ!!!

まだ「職場のルールは厳守しましょう」みたいな行動面で表す分にはいいのよ……。ただ、自分が「ルールは何が何でも厳守する人間だ」と見られるのがキツイ。
企業側はルールをきっちり守る人間を求めてる事には違いないんだけど、私は「理不尽なルールはあってはならないと思っているし、黙って従うんじゃなくておかしいと声を上げて無くしていくべき」って考えてる人間だから、それに反する「ルールは忠実に守る」というレッテルを貼られるのが辛い。

あと「責任感」とかいう概念があるけど、私は自分が責任ある人間だとは思えない。別に自分がわざと無責任な行動を取ってグレたいとか思っている訳じゃなくて、自分自身を「責任感ある人間」だと名乗るには荷が重すぎる。
「やるべきことはきっちりやる」
これは理解しているんだけど、それを言語化したことでとても負担が大きくなる。自分の計画を他人に伝える事を極力したくない。

「やる」と言ったのに期待を裏切って結局やらない人間に何度も腹が立ってきたから、誰からも「やる」とは聞きたくない。いつしか、まだ成し遂げてないことをできると断言すること自体が嫌いになった。
私は「やる」と強く断言した事に対する責任はある。しかし他者から圧力をかけられて無理やり「やる」と言わされた事に対しての責任は負いたくない。それは自分の言葉じゃないから。

責任感は大切なことだとは思うけど、それが責任を強制的に植え込もうとする人達の言葉であるなら、私はその価値観を大切になんてしたくない。
自分がやることは自分で決めることだと思っているから。



私は色々な面で自信がない。
自分に対するポジティブなレッテルを貼った所で、自分がそれ相応に見合うとはとても思えない。自分に肯定的な言葉ばかり結び付けて、崇高な存在のようにはしたくない。

人の心には「期待外れ」というものがあるから。「良いと思っていたのに悪かった」よりは「思っていたほど悪くなかった」の方が良いでしょう?
「良い」も「悪い」も所詮比較。実際の行動を悪く見せないためには前置きを事実よりも良く見せた方が良いか悪く見せた方が良いかなんて明白でしょう?

私は言葉で盛ることはしたくない。言葉で盛ったって事実が変わる訳ではない。余計な期待を抱かせるだけだから。
誰かを失望させるような人間にはなりたくない。「期待していたのに」なんて言わせたくない。

だからはじめから自分に正直でありたい。

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