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タイプ1だけど自由になりたい

「自由になりたい。」
私はよくそんな風に思っている。


「自由になりたい」と書かれたメモ

少し前に書いたメモにはこんなことが書かれていた。

自分を縛りつける全てのものを切り離して、解放されたい。

他人の言いなりになる自分が気持ち悪い。

もう、束縛も制限も禁止も、何もかもうんざりだ。


この頃はタイプ4かタイプ7で迷っていた。

自分が何をされたくないかと考えると、真っ先に思い浮かぶのが「自分のやりたいことを止められること」だったからだ。



そこでタイプ4やタイプ7について調べていたら、

私の求める「自由」はタイプ4やタイプ7の言う「自由」とは別物ではないか?

と思うようになってきた。




タイプ4にとっての「自由」

タイプ4は「人と同じ」を嫌い、独自性を求める。

その事から、タイプ4にとっての「自由」は「常識に囚われない」ということを意味しているのではないかと思った。
「自由な発想」などの「自由」だ。



タイプ7にとっての「自由」

タイプ7は自己主張型であり、行動力がある。

そのため、タイプ7の言う「自由」は「自発的な行動」を意味しているのではないかと思った。
「自由時間」の「自由」に近い。




じゃあ私にとっての「自由」とは?

私はタイプ4のように何でもかんでも人と被らないことを「自由」と呼んでいる訳ではない。
タイプ7のように自発的に行動する環境も求めていない(逆に困る)。

では私がどのような時に「自由になりたい」と思うのかと言うと、自分のしたかった「何か」を制限された時。
いわば、「しないといけない事」のために「する予定であった事」ができなくなることが一番のストレスだ。

自分にとっては「これをするのが最善である」という見通しがある。
それを「これはできない」と言われて他の事をせざるを得ない事を「自由が奪われた」と私は表現する。
その度に「こんなはずじゃなかったのに…」と思う。



タイプ4の例にある “カウンターカルチャー” に魅力を感じたりする。
タイプ7が行動力を発揮して常識を覆そうとしている所を見ると、素晴らしいと思うことがある。


でもそれは彼らが目指す世界が自分の “理想” に沿っているからだと思う。



世間にある “似通ったもの” に対抗するための素晴らしいアイデアも、世界を変えるために人を動かすような力も私には無い。

ただただ、私は私を取り巻く環境の全ての “厄介なもの” から逃れたい。
現実というどうしようもない生き地獄からの救いの道を見つけたい。



私が本当に求めているのは「オリジナリティ」でも「自発性」でもなく「私の邪魔をしないで!」という事だ。
タイプ9には「自分のペースを乱されたくない」という特性があるけど、それに似ている。

指針はある程度欲しい。自分の好きなものであれば唯一じゃなくても良い。
だけど、ギッチギチに固めた枠に私をはめないでほしい。
自分の道は自分で選びたい。


そんな感じかな。

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