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「気」に振り回されるのは、終わりにした

やる気の出ない日。これは誰にでも平等に訪れるもので生きている以上避けては通れない。むしろこの日がやって来ないという人がいるのならば是非会ってみたいくらいだ。
 かく言う私も例外なくやる気の出ない日はやって来る。そしてそれは大抵望んでいないタイミングだったりする。わざと狙っているのかと聞きたくなるほどに。彼らはいたずら好きで我々の気力をこれでもかと奪い去って行くのだ。見返りも渡さずに。それがどうも気に食わない。
 仕事にしろ学校にしろ、生きるためにやる気というのは最低限必要になってくる。衣食住の中に「気」を加えてもいいのではないかと思うくらいに欠かせない。なんと言ってもこの「気」がなければ人間動く気にもなれないのだから。私の場合は部屋が荒れに荒れたり、なぜかもの凄く夜更しをしてしまったり、自分にとって何1つ利益のない時間を送ることになる。

 これに対抗しようとどんな時でも自分はやる気があるのだと思い込ませ、徹底的に追い込んだこともある。人間の脳は単純だからと暗示にかけるのだ。ただ「気」というのはそう簡単に戦える相手ではない。結果この方法では微々たる効果しか得られず、失敗に終わった。
 次に行ったのは完全に「気」の思うままに任せる、ということだった。つまりやる気が起きるまで何もしない、やる気が出なくても放置する、という方法だ。これは簡単に想像のつく通り、何も生み出せることもなくただただ無駄な時間が過ぎた。自身が怠惰への道を突き進んでいくことに嫌気が差し、早々に撤退した。
 最後に試したのはこれまたなんの面白味もない至ってシンプルなものだった。それは「気」に左右されないようにやる気のあるときに可能な限りやるべきことを終わらせ、「気」が機嫌を損ねたらその時点で戦わずして辞める、という方法だ。2つ目と何が違うのだと思うかもしれないが、ここには大きな違いがある。今回大切なのはやる気のある時に猛スピードでやるべきことを熟す、という点だ。いつ「気」の機嫌が変化しても対応できるように事前に対策をしておくのである。この対策があるおかげで突然「気」に邪魔をされてもある程度までは対処できるようになるというわけだ。もちろんあまりにも長い時間邪魔をされては困るという点は変わらないのだが。

 やる気が出るとか出ないとか、本当はそんなものに左右されずに時を過ごせたらどれほど楽かと思う。ただ不可能なことを考えてもそれはそれで無駄に労力を使うだけで何も得られるものはない。それならば共存できる方法を探るほうが得策ではないか。
「気」というのは気分屋で我々人間を大いに困らせる。しかし「気」が存在しなければ人間の気分の上がり下がりもないわけで、そうなるとそれはそれでなんだかつまらない人生になりそうだなとも思う。こういうところ、人間は自分勝手だなと心底思う。
 という話は置いておき、自分の機嫌くらい自分で取れと言う人もいるが、それは本当に難しいのだということを声を大にして言いたい。なんと言っても「気」が勝手に我々の気分を変えているのだから。人間が操られているのにさらに上へ行き「気」を人間が操れ、なんてそんな訳のわからないことほどない。
 そんなわけで、やる気の出ない日なんてものは無くそうと思っても消えてはくれないのだから、早いうちに自分を卑下するのは辞めて「気」の機嫌の良いときにちゃちゃっとやるべきことを済ませる方法を取ってみてはどうだろうか。やってみると案外難しくないことのような気がしている。

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