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誹謗中傷は「言論の自由」ではないのか?

今、有名人がネットの誹謗中傷を理由に自殺したことが話題になっており、なんだかいろんなところで「誹謗中傷した人を制裁しろ!」という雰囲気になっていて、それについて思うことがあったので書いてみようと思います。

前提として、ネットの誹謗中傷はめちゃめちゃダサいと思います。ネットで会ったこともない有名人の悪口を書くなんて、よっぽど暇な人生を送ってる人なんだろうなと思っています。

ただ、有名人がここぞとばかりに「誹謗中傷したらいつでも法的処置を取れるんだぞ!」「今まで受けた誹謗中傷のデータは取ってある、これから法的処置を取ります!」と言っているのを見て、少し違和感を感じました。

この状況がヒートアップすると、過度な言論の規制で、言論の自由まで規制されるのではないか、と感じるのです。

私が今回の誹謗中傷非難に対して感じる違和感が、学生時代アメリカにいた時に知った「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」に対するものと近かったのでその話をします。

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私がアメリカにいた時に、ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(略:SJW)という人たちに衝撃を受けたことを覚えています。

ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー (Social justice warrior、SJW) は、フェミニズム、人権(市民権)、文化的多様性[1][2]、アイディンティティ・ポリティクスなど様々な社会進歩的な考え方を広めようとする人を指して言う言葉で、軽蔑的なニュアンスが色濃い[3]。誰かをソーシャル・ジャスティス・ウォリアーと名指すことは、その人が深く社会に根差した信念体系よりも個人的な物差しを優先し[4]、不誠実な議論をしているという意味合いがある[5]。-Wikipediaより

これは極端な思想を持ち、その思想に従わない人間を過度に非難する活動家に向けて使われている言葉です。

SJWは直訳すると「社会正義のために戦う戦士」です。

80年代には良い意味で使われていたそうですが、現在は比較的平和になった現代で無意味な戦いをしてる人たちに対して、皮肉として使われるようになりました。

例えば、全ての男性は生まれながらに女性卑下してると極端な主張をするフェミニストとか、黒人差別に対するデモで黒人が経営する店の窓まで破壊し、もはや目的を見失っている黒人活動家とか。

中には肥満体型の人は飛行機のシート2席を1席分の値段で買う権利があると主張する、肥満体型の人権を守るための活動家もいました。

あくまで私個人の意見ですが、SJWは主張にロジックがなく、本気で社会の問題を解決しようと思ってないように思えました。

当時、彼らの目的は「社会問題を盾にして、己の私利私欲を満たすための主張をする」ことだけに見えました。

さらに、何かを言い返されると、「自分に異議を唱える人間はすべて悪者である」と言い返してくるのです。自分の主張は棚に上げて、他人の言論の自由は許さないのです。

やっかいなのは、彼らの主張の背景には、本質的な社会問題があるということです。女性差別や黒人差別があることは事実だし、本物の社会問題を引っさげて主張をされるとこちらも何も言えなくなってしまうのです。

そしてさらに、様々なメディアが「そうだそうだ!」と彼らに賛同するのです。正義のために戦う人ってメディア映えするんですかね。

彼らの主張に賛同するかは別として、私は「例え正義のための主張であっても、それを理由に他人の言論の自由を奪う権利なんて誰にもない」と思うのです。

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もちろん、誹謗中傷を非難することが、極端な思想を他人に強要する活動家と同等だとは思いません。誹謗中傷を非難することは当然だと思います。

ただ、すべての誹謗中傷は法で処すべきだと主張されると、いやいやちょっと待って、となるんです。

だって、そんなの不可能だから。取り締まるのが不可能というより、誹謗中傷と判断したものすべてを制裁する世界で、言論の自由を守ることが不可能だからです。

この誹謗中傷による自殺をきっかけに、非現実的な思想を掲げる人、それを他人に強要する人がでてくるのでは?と少し不安です。SJWのような正義の味方になりきり、自分に酔いしれ、人の言論の自由を奪うことに何の罪悪感も持たない人間がでてくるのではないか、と思います。

この意見には賛否あると思いますが、私はこのネット社会で人間が生きていかないといけないなら、人間はネットの誹謗中傷に対処する能力を身につけるべきだと思います。

言論の自由を統制するか、我々がスルースキルを身に着け、ネットの誹謗中傷に対処する術を身につけるか、どちらか選べと言われたら、絶対後者を選びます。

新しいこと、面白いことが生まれ続ける社会にするには、言論の自由は守られないと行けないと思うんです。

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ここまで書きましたが、一般人が受ける誹謗中傷と、有名人が受ける誹謗中傷は量が違い、大量に言葉のナイフを受ける感覚は、味わった人にしかわからないものだと思います。だからスルーすればいいじゃんと容易には言えないこともわかっています。

ネット社会の理想って何なんでしょう?改めて考えさせられました。


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