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置いてくプライド、持つ自信。

もうすぐ法が改正されて、成人するというひよっこ。
ちょっとだけ考えた。
初note何にしようか迷って迷って、これにした。

リーダーとか、班長とか、委員長とか、部長とか。
意外と学生の間って、"長"になる機会に恵まれている。
だけど、そういうのを請け負う子は大抵いつも一緒だ。

小学生の頃、『適材適所』と『臨機応変』という言葉が好きだった。
正しく意味を理解していたとは思えないが、大人っぽい響きに聞こえて、好きだった。
ちょっとだけ周りより大人びてて、ちょっとだけ周りより賢かった。クラスに1人はいるタイプの子だ。
友達に恵まれて、それはそれは楽しく学校生活を送っていた。そういう所謂、陽キャに必ず1つは任せられるものが"長"な気がする。
勿論私も、委員長と班長とクラブ長を務めた。

満足だった。

あだ名が委員長になった時、口では「やめてよ〜」と言いながら、心は喜んでいた。
私のプライドは溢れんばかりに満たされていた。


中学生になって、目立つことに恐怖を覚えた。
生徒会役員になって、前に立つ機会がやってくる度、脚がすくんで手が震えた。
でも、「凄いね」「流石だね」「生徒会だもんね」
と言われたかった。
どんなに怖くて涙が止まらなくても、生徒会じゃない自分が描けなかった。
みんなの前に立たない自分が想像もしたくないくらい嫌だった。
自分自身に適材適所と言い聞かせて、「私はここに適している」と唱えないとやっていけなかった。
勝手に満たされていたプライドはいつの間にか、自分で頑張って注がないと満たされなくなっていた。

高校生になった時、前に立つことを放棄した。
委員会にも属さず、部活でも目立たないように常に隅にいた。
前に立つことをやめた途端、あんなに自信たっぷりにみんなの前で発言できていたのに、
学級会で男子と揉めたのに、
泣いてる子がいれば事情を聞いて、「ちょっと男子!」って出来ていたのに。
何一つできなくなった。授業中に発言することすら出来なくなった。
体育会系の部活だから、声が小さいと一日中怒られた。
それでも返事しかできなかった。

前に立たなければこれ以上減ることはないと思ったプライドが枯渇した。
プライドは自分じゃ満たせないことを知った。
誰かが評価してくれるから、満たされることを知った。

2年生になって、突然部活でリーダーに任命された。
人が少ないし、そんな予感はしてた。
一番望んでいたもので、一番望んでいないものだった。

経験とプライドとを合わせた鎧はもう手元に無かった。
裸一つでぶつからないといけなかった。
覚悟はまだ無かった。でも、やるしか無いと言い聞かせて、何度も迷いながら手探りで始めた。

ガッチガチに固めなくても、円滑に進められなくても、着いていてくれる人がいた。
懐いてくれる後輩がいた。
私と話すと落ち着くって言ってくれる子がいた。

知らなかった。そんなこと。
知りたくも無いって思ってた。
みんなから憧れられて、慕われて、あだ名で委員長とか付いちゃうのが、良いことだと思ってた。

今までの経験は必ず自信につながる。
失敗も成功も知識と経験は宝だから。

でも、その自信を誰かに認めてもらわなくてもいい。
自分の心の中に、ちゃんと自信という2文字があればそれだけでいい。
自信さえあれば、プライドの鎧はちょっと脱いで脇に置いて置いても、自分の心は傷つかない。

鎧を着れば戦士と思われて、攻撃されるけど、
鎧を脱げば攻撃対象では無くなる…みたいな。

わかりにくいな。

持てる自信は大切に。
重たくなったプライドは、
ちょっとそこに置いていけばいい。

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