心音(こころね)

まだSNSが始まって間もない頃からこの言葉を使っている

正確には「しんおん」だけど、詩を書くときの語呂が良く、自分の中では「こころね」と思って書いていた

鼓動の音、行きている証、そこに在る意識

誰もが自分の心音を抱えて生きている
そしてその音は触れ合わなければ聞こえない

肌を重ねた時に感じるその音は、自分と重なる事はなく、共鳴する
たくさんの出会いの中で、自分と同じような心音を探して耳を傾ける
同じにはなれなくても、その音が心地いいと思える誰かを

今、側にいる人はどんな音をしているんだろう
触れ合えないつながりの中で、誰もがその音に耳を澄ましているのかもしれない

なんて、ね





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